やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

鉄血宰相ビスマルクに愛された太平洋(9)カロリン諸島とマリアナ諸島 その3

(このブログは高岡熊雄博士著『ドイツ内南洋統治史論』を参考にまとめています。)

 

カロリン諸島を巡り、にっちもさっちもいかなくなった独西関係。

ここで、ビスマルクの取った策がすごい。

 

当時のドイツにとってスペインは赤子の手をひねるような弱国だったにも拘らず、仲裁裁判と言う方法を取る事とした。しかもその仲裁を依頼したのが、ドイツ統一時代より激烈な抗争を続けているローマ法王。そのローマ法王が仲裁に入ればドイツは不利な判決しかえられない、と考えるのは当然。今度はドイツ国内の強い反対が起った。

「強者とは敵を味方にする者なり。」確か孫子だったように記憶するが、ビスマルクは正にこれをやったのだと思う。ビスマルクはこの好機に法王に名誉を与え、長年ドイツとローマにあった宗教的抗争を中止しようと考えた。そしてローマ法王の判決であればスペインは従うであろう、と。

ローマ法王Pope Leo XIIIもビスマルクの思惑は読めていた。下された判決は、カロリン諸島の領有権はスペインに認めるがスペイン政府早々に行政機構を設置すること。またドイツには商業活動その他の権利を認める事。スペインの名誉とドイツの実利を守った同判決はソロモン判決と呼ばれ、法王の名を高めると共に法王はビスマルクの政治的見識を讃え、未だプロテスタントには授与した事のない最高勲章をビスマルクに送った。

スペイン政府はポナペに官吏、伝道師、軍人、囚徒を送り行政を執り行おうとしたが、貿易は既にドイツが把握し、また先に入っていたプロテスタントとも揉め、さらには原住民からの暴動で双方に多くの犠牲者を出す結果となってしまった。カロリン諸島の領有はスペイン政府にとっては大きな重荷になってしまった。

 

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ビスマルクと和解したPope Leo XIII

 

ドイツが南洋群島を手に入れるのは米西戦争で、スペインが敗北し、グアム、フィリピンを米国に譲った後である。マリアナ諸島(除くグアム)とカロリン諸島を敵の米国が100万ドルで購入する提案をスペインは受け入れず、ドイツに1,725万マルクで譲渡する独西条約が締結された。1899年6月30日の事である。

米西戦争以前、ドイツはグアム、フィリピンも平和的方法で獲得する策を練っていたようである。もしフィリピン、グアムがドイツ領になっていれば、第一世界大戦で日本統治下となり、第二次世界大戦の様相は全く違っていたであろう。

 

高岡博士は同書の結語で、ローマ史を研究した歴史家 Theodore Momusenを引用

「戦争によって得たものは再び戦争によって失われる事があるが、犂によってえたものは然らず。」

ビスマルクの"Die Soldaten foegen den Kaufleute" 「軍人は商人に続け」の方針によって、カロリン諸島と北マリアナ諸島は犂とビスマルクの洞察によってドイツが平和的に獲得した。

しかし、ビスマルクを排除し、第一次大戦を導いたヴィルヘルム二世によってドイツは全ての植民地を失ってしまったのである。ドイツの植民地統治は約30年続いた。それを日本が一部引き継いだのだ。