やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

鉄血宰相ビスマルクに愛された太平洋(6)マーシャル群島 その2

(この「鉄血宰相ビスマルクに愛された太平洋」は高岡熊雄著『ドイツ南洋統治史論』を参考にまとめています。)

 

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ヤルート会社の社旗 左が1887年、右は1888年から

 

"Die Soldaten foegen den Kaufleute"

「軍人は商人に続く」

ディー ゾルダテン フォエゲン デン カウフロイテ

(読み方、これでいいかな?国音では第一外国語がドイツ語だったんです。ゲーテインスティテュート行ったし。。綴りのご指摘ありがとうございます。このブログが読まれている!という事だけでも嬉しかったです。)

 

 これがビスマルクが樹てた植民地政策であった。

 ドイツ帝国の保護領となったマーシャル諸島(ナウルも含む)は、イギリス、オランダ政府の植民地政策同様に政府が直接統治するのではなく、商人にその権限を委譲し、なるべく政府の負担を減らし、リスクを取りたくないというのがビスマルクの意向であった。しかし当時当該地域で商売を展開していたヘルンスハイム商会は頑に拒んだ。

 しかしながらビスマルクの懸念は、この小さな島々に関しては杞憂となった。東アフリカやノイ・ギニアのドイツ植民地がその経営に多大な損失を出したのと反対に、マーシャル諸島で展開したヤルート会社は政府の支援を全く必要としない程隆盛を極める結果となったのである。

 

 ロバートソン・ヘルンスハイム商会がその権益を有していたマーシャル諸島、ギルバート、カロリネン諸島に加え、ゴーデフロイ商会の後継商社であるドイツ南洋商業栽植会社のヤルート支店の事業を合わせ、1887年12月21日ヤルート会社 - Deutsche Jaluit Gesellschaft が設立された。

 ヤルート会社は株式会社で本社をハンブルヒ市においた。その後マーシャル諸島で活躍中の2つの米国企業を合併する。Crawford Co. とPacific - Islands Co.である。(別の資料にはPacific - Islands Co.はシドニーで登録、Pacific Phosphate Co.の前身という説明もある。)

 

 ヤルート会社は政治的活動はドイツ政府に任せる代わりに次の5つの責任を負った。

 (1)帝国官吏の俸給を支払う事

 (2)官吏全部に対する無賃住宅と適当な事務室を提供する事

 (3)弁務官および書記官の住宅及び事務室を装備する事。

 (4)前項の官吏が会社の船舶で管内を旅行する時は無賃とする事。

 (5)年々支出が収入を超過した時は、その不足額は会社がこれを補充し、余剰のある時は会社の収入となす事。

 替わりにヤルート会社はこの義務を果たすために税金徴収の特権を認められた。

 

 会社の経営は順調で、帝国官吏に対する負担は決して重いものではなかった。高岡博士はヤルート会社成功の理由を以下の5点にあると分析している。

 (1)マーシャル諸島の原住民がノイ・ギニアやアフリカに比べ従順であった。

 (2)多年に渡る伝道師の活動によりキリスト教が布教し、原住民闘争的ではなくなった。

 (3)原住民の数が少なかった。

 (4)少数の原住民はさらに32の環礁と800有余の小島に分散していた。

 (5)ヤルート会社は原住民の制度慣習を重んじ、逆にこれを利用した。

 

 ヤルート会社は

1. コプラ生産と取引、

2.Pacific Phosphate Co.と共同し燐鉱石の採掘、

3.航海業、

4.商取引

を営んだ。高岡博士は夫々の商売について数字を上げ詳しく分析しているが、割愛する。

 

 航海業については以前まとめた「郵船航路補助法案」により北ロイド会社が定期航路を持つのみであったところ、ヤルート会社は汽船ゲルマニア号を得て年3回の香港ーシドニー航路を開いた。この定期船は途中カロリネン、マリアネン、マーシャル諸島、ビスマルク群島に寄港し乗客貨物の輸送に従事。さらに小規模汽船、汽帆船、そのた小型船舶を多数備え内南洋の島々を行き来し、運輸交通の便を計り、ドイツ商権の進展のみならず南洋地方の発展に大きく寄与するところが少なくなかった。

 日本南洋庁の土台にドイツ南洋統治時代があった事を改めて認識させられる。

yashinominews.hatenablog.com

 

 さて、次回はヤルート会社の隆盛を背景に現在のパラオ、ポナペに展開するドイツ南洋統治をまとめたい。

 

 

 (おまけ)

 ゲルマニア号の写真をウェッブで探していたら、その数奇な運命が書かれたウェッブを見つけた。

 AUSTRALIAN COMMONWEALTH GOVERNMENT LINE of STEAMERS

http://www.flotilla-australia.com/acl.htm

 

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 ゲルマニア号はキールにあるKrupp Germania によって造船。1914年オーストラリアの戦利品としてMawatta号に改名しBurns Philp & Coに貸与。1928年にはMoller & Coに売却されElsie Mollerに改名。1941年日本海軍に捕獲され「江差丸」に改名。1945年3月29日、台湾で沈没している。写真は多分台湾で沈没したものであろう。