我部政明 日本のミクロネシア占領と「南進」 : 軍政期(一九一四年から一九二二年)を中心として、1982、慶應義塾大学法学研究会
ムーミンパパに教えていただいた論文。
唸った。矢内原の引用が全くいい加減なのと、ミクロネシアの日本委任統治は沖縄の移民政策、膨張する人口、経済的疲弊対策であったことを一切書いてない。移民の半分以上が沖縄の人だ。漁師はほぼ100%沖縄の人である。
(追記しました)
80ページ(886)の箇所だ。
「戦争の結果、アメリカがグアム島、ドイツが他のマリアナ諸島、カロリン諸島に各々支配権を確立して、日本人がミクロネシアにおいて自由な商業を展開する余地は減少していった。これ以降、平和的移住によるミクロネシアへの「南進」は困難となり、もはや武力による植民地再分割という当時の日本にとって事実上不可能な道しか残されていなかった。」
この箇所が矢内原の「南洋群島の研究」を引用して書かれた箇所だ。しかし矢内原は「武力による植民地再分割・・」とか「自由な商業を展開する余地は減少していった・・」とか一切書いていないどころか、逆のことを書いているのだ。
矢内原の「南洋群島の研究」第2章沿革第5節「占領前に於ける南洋群島と日本との関係」から我部教授が引用した箇所だが、中身は真反対の箇所を引用する。
「かくの如く獨逸時代において日本人はマリアナ群島及びパラオ島の商権を把握し、トラック、ポナペ諸島にも日本商人が在住した・・・占領及び統治によって彼らが利益を受けたのは、ことの影響であってその原因ではない。・・・日本資本と国家権力との具体的有機的関係は占領及び統治開始の後に生じたものである。」
我部教授は大嘘を書いているのである。なんでこのような曲解ができるのか?日本の占領統治以前に「日本人がミクロネシアにおいて自由な商業を展開する余地」はあったし、実施していたのだ。そのことを矢内原は書いている。
「武力による植民地再分割という当時の日本にとって事実上不可能な道しか残されて・・」ここまでくると我部政明教授の妄想の範囲になる。武力による植民地再分割は国際政治と軍事的重要性である、と矢内原は結んでいるのだ。すなわち商業のためではない。(ここは私は矢内原に反論したい。占領を決めた秋山は紀伊や瀬戸内海の漁師が木曜島はじめ太平洋で広く経済活動をしていたことを知っていた、と思う。ビスマルクの"Die Soldaten foegen den Kaufleute"「軍人は商人に続く」の意味も。)
(追記:ここまで)
私は、日本が第二次世界大戦に引き込まれていった原因を作ったのは沖縄だと思っている。そんな議論は誰もしていない、が。。
我部教授は南進=領有化と誤解されているようだ。
この論文出たのが1982年。平間洋一先生の第一次世界大戦の本は2000年の出版。関連の論文は1986年だから軍事史がまだ明確にされていない中で書いた限界はある。
防衛省のインド太平洋担当が読んだらそのまま信じるであろう。でも彼らに新渡戸と矢内原読みなさいとはさすがに言えない。本当は植民を論じているアダム・スミスから読むべきなのだが。。