やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

「戦後70年 両陛下のパラオなど訪問を検討」

噂には聞いていましたが、メディアに出ると違った感動があります。 「戦後70年 両陛下のパラオなど訪問を検討」 http://sankei.jp.msn.com/life/news/140603/imp14060307410002-n1.htm 日本の記憶はパラオの至る所にある。 日本人としてそれに触れる事も、避ける事も困難である。 残念なのはウォーギルトインフォメーションプログラムが功を奏したのか、それとも歴史で何も教えないからなのか、パラオが、隣のミクロネシア連邦マーシャル諸島、そして北マリアナ諸島と共に日本の委任統治であった事、ある意味では日本国であった事を知る人が少ない。当時の植民地政策は新渡戸、南原、矢内原、高岡、そして後の総理大臣大平等々日本のベスト&ブライテストが指揮していたのである。それは人種差別を基盤とした西洋の植民地運営とは違ったものであったに違いない。(そこら辺の比較研究はまだ勉強していません。) しかし、悲しい事に米豪人と並んで、日本の侵略の記憶が現地にある、などと、私より年下ならいざ知らず、60、70歳の先輩方に言われると、ベルサイユ宮殿の出来事を知らないんですか、と音大卒の身分だけど問いただしてしまう。 そんなパラオとの関係は民草が粛々と繋止めてきた。 その一つが昨年から開始した元自衛隊の方々が命をかけて取り除く不発弾除去である。Facebookに写真があったので下記にコピーしておく。
1994年の独立以降、パラオと国交を強化したのは故三塚博議員である。ミクロネシア3国に大使館を置いたのは森元総理である。日本財団笹川平和財団の海洋安全保障事業も2008年から継続。それ以前から、日本財団笹川平和財団は小型船の寄贈や、現地文化遺跡の保護支援をしてきた。 パラオと24年間関わらせていただいて感じているのは、現地からの日本に対する期待である。 元大統領ナカムラ氏から言われた言葉は忘れられない。「僕は日本人でもある。日本はもっとしっかりしなければいけない。」これは日本への言葉であった。 だから民草のもっと下の自分がしっかりしなければ、と考えた事が忘れられない。