2014年6月11日翌日に実施されたビショップ豪外相、ジョンストン豪国防相の記者会見。
共同記者発表の内容と同じだが、ある意味また違った情報がある。
その一つが「アルバニー船団記念式典」への日本の海上自衛隊艦艇の参加の件である。
ジョンストン豪国防相はこの事は大きく取り上げられるであろう、(多分豪州で)と語っている。
この件を今年2月のキャンベラ出張で、豪州政府に呼び起こしたのは自分である。
よってその意味を改めて考えたい。
<歴史から消された日豪の記憶>
私は第一次世界大戦で日本海軍がANZACを護衛した事を本間洋一氏の本で始めて知った。回りのオーストラリア、ニュージーランド、日本人に聞いても誰も知らない歴史なのだ。
この協力は、元祖集団的自衛権の行使は,豪州の白豪主義(人種差別)と敵国ドイツの情報操作もあって、ANZACの歴史、記憶から抹殺されたのだ。
そして、太平洋に進出してくる悪い日本人のイメージがANZACに植え付けられた。
ミクロネシア諸国は英仏露との秘密協定、そしてベルサイユ条約で正式に日本領となったが(形式的には委任統治)米豪はアジアへ繋がる要所を日本に押さえられる形となり、許せなかった。
ベルサイユに続くワシントンの軍縮会議では欧米諸国の共同謀議と知りつつ日本は大きく譲った。
しかし、その結果10万人の日本軍人の首が切られた。(この事は数日前に始めて知った)
1922年の軍縮会議の最も重要な点はここであろう。戦艦の数が減らされた事より、この10万人の軍人の首切りが社会に与えた影響。
当時世界第二位(だと思う)の軍事能力を誇った日本の気高き軍人、得に職を失って潰しが効かない青年将校達を追いつめる結果となる。
青年将校達の不満のマグマが爆発したのが、血盟団事件、五.一五,二.二六だ。
軍人と貧困に喘ぐ農民が手を組んだ。彼らの貧困を苦悩を理解しない日本の指導者達、ブルジョワ層への憎しみ。さらに母国には戻れない満州在住21万人の日本人が追いつめられていく中で、それを守った関東軍。(これも最近知りました)
その歴史の流れを見ると、100年前日本帝国海軍のANZACへの貢献が歴史から消された事の意味、そして100年たってその事を改めてANZACが認識(評価)しようとしている事の意味の大事をつくづく考えてしまう。