やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

「駒吉」 予告

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                 写真は團琢磨と北一輝。似てる。。

太平洋を渡り歩いて24年。普通では出会えない人々との出会いがあった。 そんな中のお一人が團伊玖磨さんである。 以前から「駒吉」というタイトルでこのブログに書きたいと考えていた。 もうそろそろ書こうかと思う。

その前に備忘録。 駒吉(團琢磨)が暗殺された血盟団事件(1932年)、それに続く5.15(1932年)、2.26(1936年)。 中島岳志著の『血盟団事件』を読んで井上日召や貧しい農家の青年の精神状況はわかったが軍人将校の動機がわからなかった。

そうしたらあった。 今年5月22日に開催された民主党オープン・フォーラム(近現代史研究会)「二・二六事件とその時代――危機的状況下の日本」(筒井清忠帝京大学文学部日本文化学科教授・学科長)の会議録である。

ベルサイユ宮殿での会議に続くワシントン軍縮会議(1922)。このあおりを受けて9万6400人、約十万人の将校、士官の首が切られた。軍縮会議が、軍事大国となっていた日本にこんな影響を与えていたとは始めて知りました。とういうか当時10万人以上の軍人がいた事も知りませんでした。現在は約25万人、予備兵が5万人で合計30万人。

首を切られた軍人達。

士官は潰しが効いたが、エリートの将校の潰しが効かなかった。この将校達が北一輝と繋がっていく。 筒井清忠教授は”たまりにたまったマグマが暴発したようなことになったのが二・二六事 件だと言えるだろう”と結んでいる。