ニュージーランドの小さな村には、戦争慰霊が必ずと言っていいほどあります。第一次世界大戦では当初、多くの若者は海外旅行に行くような意識で出兵したそうです。
先日鶴岡公二大使に聞かれて、豪州とニュージーランドの対英感情について話させていただきました。私は一言で言えば「愛憎」と表しました。
それを象徴する一例が ANZAC。4月25日はWWIでガリポリの戦いにNZと豪州が参戦した日。英国兵士に射殺されたANZAC兵もいたそうです。それだけ英国は上から目線だったのです。
このANZACを護衛したのが日本帝国海軍。しかし歴史学者によって日本は「火事場泥棒」をしたと認識されています。当時創設されたばかりのANZACの軍事力は弱くドイツ艦船に出会えば5分で撃沈されると自ら分析していたのです。NZは日本の護衛艦が来るまで出発を延長したのです。
故・平間洋一教授の研究に詳しく書かれています。
現在の豪州NZ関係も複雑ですが、ANZACの絆は固い。残念ながらWWIIの記憶が強く日本人はここから排除される存在でした。「火事場泥棒」という認識持つ京大の奈良岡君のような歴史学者の責任は重いでしょう。
しかし2014年の安倍総理豪NZ訪問から日本の存在が認識されるようになりました。2014年2月キャンベラで私は安倍総理豪州訪問直前に豪州外務省にアドバイスを求められました。2014年は日本のANZACそしてインド太平洋への貢献、即ち日豪海洋協力100周年である事を伝えた背景があります。豪州外務省が奈良岡君の歴史認識を聞かないかったことは幸いでした。
インド太平洋構想を進める上でこの地域の日本の歴史を理解することは重要です。
日本の参戦は「火事場泥棒」だったのでしょうか?
ANZAC形成の背景に日本帝国海軍がいるのです。その結果、旧独領の南洋諸島の委任統治につながります。パリ講和会議で日本が提案した人種差別撤廃に強く反対し、火事場泥棒的に扱ったのが日本が護衛した豪州のヒューズ首相でした。米国が廃止を進めた日英同盟の継続を希望したのが豪州です。太平洋に出てきた日本が怖かったの英国の影響下におきたかったのです。これも詳細は平間教授の研究にあります。
ANZACを理解することは日本のインド太平洋構想推進にも重要です。あれは火事場泥棒ではなく、必要な護衛であり、必要な占領であり、必要な統治であったという歴史観も広く議論されることを祈ります。南洋統治こそ日本がインド太平洋を開拓した史実。文科省教科書検定を通過した明成社の教科書に1ページ書かせていただきました。
平間先生の記述で初めて知ったのですが、忘れてはならないであろう史実。WWIで南洋諸島を占領したのは、雅子皇后陛下の曽祖父、海軍大将山屋他人(1866~ 1940年)ということです。