やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

日本財団パラオにNippon Maru IIを寄贈

先日、日本財団よりパラオにNippon Maru IIが寄贈された。

コロールとペリリューを結ぶ定期船である。

パラオ旅客船寄贈 台風で沈没、後継に

産経 2014.12.15

http://www.sankei.com/photo/daily/news/141215/dly1412150043-n1.html

日本財団は1990年にNippon Maru IとYamato Maruをパラオに寄贈している。

その事をこのブログに書いたと思ったが見当たらない。自分のフォルダーにあったので下記に、記録としてコピーしておきたい。2008年か2009年に書いたものである。

2012年の台風で修理されたNippon Maru Iは沈没してしまった。

Nippon Maru I.png
  
Yamato Maru.png

写真、上が修理されたNippon Maru I 下が丘に上がったままの大和丸

パラオで再び活躍する日本丸

1990 年(1991 年という説もあるので関係機関に要確認)日本財団からパラオに寄贈された日本丸と大和丸の内、故障で5年ほど使用されずにいた日本丸が、この5月ナカムラクニオ元大統領の造船所で修理され再び活躍することになった。

パラオは戦前日本が南洋庁を置いていた島だ。今でも日本語が 25%残っており、日系人も多い。世界一種類が多いサンゴ礁を目的に世界からダイバーや観光客が訪れる。

第 2 次世界大戦のペリリューの玉砕では日本兵約 1 万人、米兵約 2 千人が亡くなっている。 戦闘の前に島民は移動を強制され、被害者はいないが戦争の傷跡は消えていない。

寄贈された日本丸は国の中心であるコロールとペリリュー島を、大和丸はコロールとアンガウル島を結ぶ定期船とし活躍していた。

当時はペリリューにもアンガウルにも小さな自家発電しかなく、食料の備蓄ができなかっ た。コロールへ週に1,2回は物資を調達しに渡る必要があった。日本統治時代に慣れた米の味は島民に昔の自給自足のタロイモ生活に戻ることは難しくさせていた事情もある。 何よりも当時ペリリューには病院がなく、通信も発達していない環境で定期船はまさに生 命線であった。

寄贈のきっかけは、当時のエピソン大統領とパラオの海をこよなく愛した石原慎太郎氏の友情関係があった。また当時副大統領を務めたナカムラ氏の積極的な働きかけもあった。エ ピソン大統領の要請を石原氏が笹川良一会長に伝え、日本財団からの寄贈が決定したのであ る。

寄贈に当たり、事前にパラオの人々を日本に招き船舶の管理ができるよう日本財団が訓練を提供。それでも2000年にはエンジンが故障し、ペリリュー州政府が独自に修理。2003年まで持ち応えた。しかし修理したパーツに問題があったらしく、再び故障。それから 5 年間海に浮いたままであった。

ペリリュー島には今ではコロールから海底ケーブルが引かれ電話もインターネットも通じる。発電所もできて冷蔵庫もある。しかし診療所はできたものの医者がいない。週に一度だけコロールに駐在する米軍の医師が診察に訪れるだけである。依然として定期船は生命線として必要だった。貨物船はあるが人が乗るのは危険だし、燃料も食う。

動いたのはナカムラ氏である。2008 年、ペリリュー出身のナカムラ氏は酋長に選ばれた。 酋長・州議員議会に働きかけ、修理費 65,000 ドルをパラオ政府に要請した。 「せっかくもらったものを修理しないで使わないのはもったいない。日本丸はソリッドな 美しい船体だ。最近台湾から寄贈された船は 200,000 ドルもする。65,000 ドルは高くない。 修理をしないで使わない手はない、と思った。」 ナカムラ氏の父は三重県出身の船大工だ。職人魂が動いたかもしれない。

現在ビジネスを広く展開するナカムラ氏は続ける。 「ビジネス感覚のない政府に定期船の運営を任せていてはだめだ。ペリリュー・マリン・ トランスポーテーション・オーソリティ(PMTA)という第 3 機関を設立し、貨物船はPMTAが運営を行っている。収益を上げているよ。」

エンジンはまるまる代えた。修理には約 2 カ月かかった。日本からのパーツが届くのを待 つ必要があったからだ。仕様書が紛失していたことも時間がかかった要因だ。

出航は 2 日後の 5 月 22 日を予定している。

さて、大和丸の方だが残念ながら丘に上がったままである。