海洋政策財団の寺島常務に立ち話でお話した事である。
しっかり話せなかったのでここに書いておきたい。
1991年に私が財団に入ってすぐに気付いたのが、運営委員会が形骸化されている事だった。
事務局と意思決定機関の運営委員会のバランスは重要なのである。
事務局のさじ加減で決めてしまうのは、自殺行為になる。
幸い、運営委員長だった笹川陽平現日本財団会長も太平洋島嶼国への関心は強く、事務局のさじ加減で事業が決まっていく状況は改善できた。
しかし、1999年に運営委員会の改選が行われる事になり笹川運営委員長も後退する事に。
万事休すと諦めていたところ、幸いにも次期運営委員候補リストを作るよう指示があった。
リストには、渡辺昭夫東京大学名誉教授と産經新聞千野境子記者(元論説委員長)そして『フラジャイル』で関心のあった松岡正剛氏、他2名の計5名を挙げさせていただいた。
結果、渡辺先生と千野氏にお願いしようという事になり、私が笹川会長の名代で口説きに行ったのである。
当時、事務局のさじを持つ人の言葉はさらに難解になり、中身はさらに訳がわからなくなっていた。強い運営委員会が必要だと思ったのだ。
結果、島嶼国基金の最初の10年が試行錯誤もともなった笹川運営委員長が主導した時代であれば、2期目の10年は渡辺昭夫運営委員長が主導したより政策を重視した展開となった。
私は、笹川、渡辺両運営委員長の下で、基金ガイドライン作成(第一次、第二次)から始めて事業開発、評価、広報とやらせていただいた。
現在の運営委員長でもある寺島常務には、基金の方向を海洋問題に大きく舵取りいただき、私も直接寺島常務から学ばせていただける機会を得ている。
愚かなる者に親しみ近づかぬが良い
かしこき人々に近づき親しむが良い
仕うるに値するものに仕うるが良い
これが人間の最上の幸福である
「大吉祥経」