なぜ、鳥井啓一氏が当方の事を覚えていてくださったか、というとこのブログの他に鳩間島•小浜で開催した2004年の最後のやしの実大学に参加していただいた事も理由の一つのようであった。
私は、終了してしまうこの事業をどうにか琉球大学の大城教授(現学長)に引き継いで、島のさらにその先の離島、つまり「先島」の視点から島を考える動きを継続させる事に必死だった、事も思い出した。
「あれは良い事業だった。」と鳥井参与に言われて、思い出したのだ。
「3年で終わるところ、笹川運営委員長に与那国の会に参加いただき評価を得て、結局7年続きました。」
私は続けた。
「尖閣の問題もあり、先島に自衛隊が入る事はしょうがない、としても、島の文化や歴史を支援する事は、今だからこそ大切なのではないか、と思うんです。」
90年代半ば、私が最初に先島に入ったすぐ後、NHKの朝ドラ「ちゅらさん」人気で八重山諸島は元気だった。
やしの実大学事業が終了して、尖閣の問題が起った。
八重山諸島の様子が変わった。本土のに人々の関心は自分たちにも迫る、安全保障の問題、砦として先島を扱う様になった。
自衛隊が入る事になり、海底通信ケーブルが、大きな橋が、離島を結ぶ事となった。
逆に見れば、本土の利害関係がなければ離島は放っておかれるのである。
現在の太平洋諸島の問題と共通している。
中国の脅威が話題にならなければ、温暖化で先進国の責任が追求される事がなければ、太平洋の小さな島々は放っておかれるのである。
これは戦前の左派が、即ち矢内原忠雄が唾棄した、近衛文麿が、蝋山政道が進めた、侵略思想の南進論と同じなのではないか?(ここら辺はまだ勉強中)
つまり、島をステップストーンとしか見做さず、島嶼国に住む人々を無視する態度ではないだろうか?
自衛隊が入ることも、島嶼の戦略的、地政学的意味も否定しない。
しかし、同時にそこに住む人々の歴史や文化を大事にする事は、新渡戸稲造(柳田と地方の研究もやっている)や矢内原忠雄が望んでいた事ではなかったであろうか?
「南進論」ー 鳥井参与からは中島敦の名前が出て来た。
パラオには中島敦がいたのだ。
中島敦とその友人であった土方久功のパラオでの存在も日本の「南進論」を語る時重要である。
土方こそ、彼の本の英訳事業を手がけた島嶼国基金の、そして当方の島への関わり方の原点なのである。