昨日、このブログを書き終えた時、ハワイのビショップ博物館篠遠喜彦博士の訃報が届いた。
篠遠喜彦博士の思い出が走馬灯にように巡って、昨日は、多分今日も、物事が手につかないであろう。
笹川太平洋島嶼国基金は、少なくとも私が関わった1991年4月からの島嶼国基金は篠遠喜彦博士と共にあった側面がある。
島嶼国基金の目的を私が作った時、情報通信という最先端の技術革新と同時に、島の文化や歴史を大切にする事を掲げた。そして実行していった。
私が立ち上げた最初の事業の一つが、中島敦の友人でもあった、土方久功の翻訳事業であった。4巻翻訳した中の一巻に篠遠博士からいただいた文章を掲載してある。今手元にないのだが、土方が求めた南洋とゴーギャンが求めた南洋は違う、という話であった。ゴーギャンはタヒチでは評判が悪い。太平洋島嶼国に対峙する自分のポジションが、指針が見えて来たことを覚えている。
その後、篠遠博士の文化財保護人材育成事業を支援させていただいた。これはユネスコに先駆けた、太平洋島嶼国の文化財人材育成活動となった。パラオやポナペの世界遺産登録に基金事業が大きく貢献しているのも、篠遠博士の地元の人材を育成するという哲学を島嶼国基金が後押しする形で推し広めた成果である。
篠遠博士には私が企画、運営して来た「やしの実大学」事業の学長にもなっていただいた。
そう。このブログを読んでいただいているであろう八重山諸島の皆さんにも訃報をお伝えしなければならない、と思って博士の訃報をこのブログに書くこととした。
篠遠博士の業績は荒俣宏さんとの対談「楽園の考古学」に詳しい。
ポリネシアの歴史を解明したのは日本人である篠遠博士なのである。
篠遠博士の八面六臂の活躍はジェラシーの対象ともなったようである。謂れ無い誹謗中傷を私も耳にすることが多く、その度に心を痛めていた。
篠遠博士は考古学だけでなく、ポリネシアの、特に仏領ポリネシアの歴史の保護と共に自立、独立の動きにも深く関与しているのである。
日本人だけが知らない、太平洋のレジェンドとなった日本人。
篠遠喜彦博士に出会えて、限られた時間だが一緒に歩ませていただことを感謝し、哀悼の意を示したい。
In memory: Anthropologist Sinoto’s work key to understanding Polynesian migration
By Leila Fujimori
Posted October 06, 2017 October 6, 2017