Facebookにメモのつもりで書いたら結構な反響をいただいたのでこちらにも掲載しておきます。
八重山諸島に帆足計の影響があった事。当方が、そのグループと太平洋島嶼国と沖縄を結ぶ事業を行っていた事は、言論界の人々にとって、「意外」な話のようである。
きちんと書け、と言われています。
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帆足計の影響が沖縄にあった。
特に彼の秘書をつとめた石垣出身の友寄英正氏の影響が強くある。
当方は、この友寄氏と八重山毎日新聞前編集長の上地義男氏に、いっしょに仕事をしたい、と言われて10年近く八重山諸島と太平洋島嶼国を結ぶ事業を展開したのだ。
私が見た彼等の動きは左翼右翼といった政治的な動きではなく、島の未来は島人が決めるという後藤新平も新渡戸稲造も納得する方向であった。
下記の地元誌「やいま」の友寄英正氏の特集にあるように、本土の開発政策に、八重山諸島、特に農家や漁業者はなぶりものにされてきた背景があるのだ。これを救えたのが革新左翼だった。
保守は何を守ろうとしているのか?尖閣問題がなければ島の人の生活など無関心だったのだ。
ただ、友寄さんは新左翼が大嫌いだ、とも言っていた。島人を土人扱いするそうだ。
「私」と仕事がしたい、と言った友寄さんやその仲間は決して左右の政治イデオロギーで括れるものではない、と私は考えます。
参考資料
【追悼特集「金城朝夫と八重山」】情報やいま 南山舎