久しぶりの八重山。
新しい石垣空港に初めて降り立ち、以前の空港に慣れていたため面食らってしまった。
当方にとっては旧空港が懐かしい。
「二度と来るか!」思いながら東京に戻る私を八重山毎日新聞現顧問の上地さんと友寄英正さんが待ち構えていて「俺たちは笹川と事業をする。」と告げられた場所である。
また、私が八重山に来る度に友寄さんが空港で待っていてくださり、そのまま島内の開発現場に連れて行かれ、国の事業の画一性の問題など「開発」のフィールド勉強をさせていただいた。
石垣市内へ向かうタクシーの運転手さんに
「新しい空港になってよかったですね。」と話しかけた。
「そうよ。観光客も40万人増えたよ。40年も反対した馬鹿な連中がいるよ〜。」
40年反対した馬鹿な連中。。
「多分、私、その馬鹿な連中に会いに来たんです。」
ジャーナリスト交流、「やしの実大学」八重山実行委員会のメンバーは、白保空港建設反対の中心メンバーだったはず。
夜、八重山毎日新聞現顧問の上地さんにその話をしたら、『新石垣空港物語 — 八重山郡民30年余の苦悩と闘いの奇跡』(八重山毎日新聞社発行、2013年4月)という本をいただいた。
空港問題があるのは知っていたが詳細は知らなかった。
移動先の与那国で一気に読んだ。
やはり「やしの実大学」八重山実行委員会のメンバーはそのまま白保空港建設反対の中心メンバーだった。しかし彼等は新空港に反対だったのではなく、その決定方法に、即ち地元民の合意形成過程を無視したやり方に反対だったのだ。よって現空港の場所が決まった際、まだ反対する本土の自然保護団体が新空港予定地内でトラスト運動(土地共有運動)をするのを批判している。
「東京から移住してきて反対運動している方を訪問したとき、あとで「言い過ぎました」と謝っていたが、市の職員を見下し、沖縄差別を垣間みるような嫌な事を言われた。」(同書214頁)
一度白保のWWFの事務所を訪ねた事を生前の友寄英正さんに報告したところ、
「あいつらは勝手なことをしている。バカたれが!」
とひどく怒っていたのが記憶にある。こういう事だったのかもしれない。
上地さんの『新石垣空港物語』の「あとがき」には、私が、八重山で、上地さん達と展開した「ジャーナリスト交流」「やしの実大学」事業の事も触れていただいている。(同書262頁)
石垣空港問題が建設的な方向に舵取りがされる中で、両事業も何らかの役割があったのかもしれない、とふと思った。