やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

国際協力による太平洋島嶼地域の情報通信支援政策 - PEACESATのケーススタディを通して- 第三章

(20年前に書いた2つ目の修論です)

国際協力による太平洋島嶼地域の情報通信支援政策

-PEACESATのケーススタディを通して-

早川理恵子 1999/1/10

第3章 PEACESATの誕生から現在まで

広大な太平洋に散在する島嶼国にとって、情報通信開発は宗主国との協力関係を維 持し孤立をまぬがれるためにも、また域内の離島開発のためにも重要なファクター であった。
しかし、島嶼国の経済規模が小さいため、経済的合理性を情報通信分野にはなかなか望めず、旧宗主国の通信事業者による独占経営の下、離島の開発を含む福祉・教育のためのネットワーク作りが大きな課題となっている。 このようなニーズに応える実験プロジェクトPan-Pacific Education and Communication Experiments by Satellite(PEACESAT)がハワイ大学及び米国連邦政府のイニシャティブにより1970年代初頭に開始されたのである。

3.1 PEACESATの誕生

冷戦期

ケネディ政権下の宇宙開発1957年、旧ソ連がスプートニク打ち上げに成功し、宇宙開発の先を超されたアメリカは、翌年1958年にNASAを設立した。そして国防総省との共同実験として膨大な予算を宇宙開発にそそぎ込むこととなった。その後ケネディ大統領のイニシャティブで衛星の世界的平和利用を目的としたINTELSAT (国際電気通信用衛星運営のための国際組織)設立への努力が進められた。 1969年に国防総省は各地に分散している軍事研究をコンピューターで結ぶARPANETを稼働した。これは現在広く利用されているINTERNETの源流である。宇宙開発とATSシリーズ次々と打ち上げた通信衛星の実験に成功した次のステップとして、NASAは60 年代初頭、主に気象観測、宇宙調査の技術実験を目的に Applications Technology Satelliteの事業を計画した。 しかし、連邦議会の一部の議員から、NASAの今までの衛星の実験がCOMSATという一企業の利益に貢献するものではないか、との批判の声が上がっていた。これを憂慮したNASA国防総省の意向 を含める形でATS-1の実験をスタートさせた。ATS-1は重量351.5 kg (775 lb), 幅1.5 mの本体の軌道運行に成功した。 これは、今までのどの実験衛星よりも大きく、より性能が高い衛星である。さらに ATS-1はC-band transponderを使用し航空機、 船舶、気象観測地と VHF 通信に成功した。8つのアンテナを搭載し各アンテナは5ワットの発信機能を備えている。また本体は太陽電池で175ワットの電力を補給することで安定した操縦を確保している。
同衛星はfrequency division multiple access(FDMA)を最初に成功させた衛星でもある。FDMAは各地点から発信された電波を一つ にまとめ、一箇所に届けるシステムである。ATS-1はまた白黒の気象カメラを搭載した衛星であり、初めて地球の気象観測の画面を継続的に写すことに成功し、雲の模様を分析することを可能にした。 1966年12月7日に打ち上げられたATS-1は通 信と気象観測データ収集に関する実験で大きな軌跡を残した。その後軌道を外れる1985年まで約20年間機能したのである。(注1)

1973年ニクソン政権下、オープンスカイ政策(注2)と予算削減の圧力を受けNASAは商業通信衛星の研究開発を一時中止し、すでに 研究がスタートしたATS-6を最後にATSシリーズは終了した。

ケネディの「平和の戦略」とINTELSATの設立

1961年ケネディ大統領が「1960年代中に人を月に送り、安全に帰還させる」と演説 で述べたことは有名であるが、同時に同じ演説の中で通信衛星を開発し、世界の情報通信の主導権を取るということも主張した。(注3)(付録資料3参照)

そして1961年12月の第16回国連総会におけるケネディの演説パラ グラフは以下のように世界平和、人類の相互理解のために世界の 人々が平等に衛星通 信を利用するという高い理想をうたい、同国連総会の決議1721号として採択されたのである。(注4)

"To this end, we shall urge proposals extending the United Nations Charter to the limits of man's exploration of the universe, reserving outer space for peaceful use, prohibiting weapons of mass destruction in space or on celestial bodies, and opening the mysteries and benefits of space to every nation. We shall propose further cooperative efforts between all nations in weather prediction and eventually in weather control. We shall propose, finally, a global system of communications satellites linking the whole world in telegraph and telephone and radio and television. The day need not be far away when such a system will televise the proceedings of this body to every corner of the world for the benefit of peace." Address Before the 16th General Assembly of the United Nations, John F. Kennedy, New York City, September 25, 1961(付録資料3参照)

このような世界的動きを背景としてINTELSATは、世界商業通信衛 星システムの設立を目指した米国の提唱により、1973年2月に法人 格を有する国際機関として再編成された。(表1)

1996年8月現在で139カ国の加盟国があり、本部はワシントンD.C.にある。 INTELSAT協定の前文には宇宙開発の世界的平和利用を目指したケネディ大統領の理想が反映されたものとなっている。

この協定の締約国は、衛星による通信が、世界的かつ無差別に、できる限り速やかに、世界の諸国民の利用に供されるべきであるという国際連合総会決議第1721号に規定する原則を考慮し(中 略)世界のすべての地域に対し拡充された電気通 信業務を提 供して世界の平和と理解に貢献する改善された世界電気通信網の一部として(中略)利用しうる最も進歩した技術により、全人類の利益のために協定を結ぶ。(付録資料5参照)

国 名 出 資 率

1. 米国 19.13847

2. 英国 9.191212

3. イタリア 4.868668

4. 日本 4.477335

5. フランス 3.662203

6. ドイツ 3.456507

7. アルゼンチン 2.988601

8. オーストラリア 2.821275

9. ノルウェー 2.446957

10. 中国 2.158526

11. インド 2.122446

12. 韓国 1.859056

13. カナダ 1.812032

14. シンガポール 1.627978

15. スペイン 1.578522

16. チリ 1.513018

17. イスラエル 1.450116

18. ブラジル 1.411102

19. オランダ 1.409548

20. コロンビア 1.308213

表1 インテルサット出資率表(上位 20カ国) (1996年3月現在)

設立以来INTELSATは競合する別の衛星システムに対し技術的経済的調整手続きを規定し、長らく国際衛星通 信のモノポリー経営を行ってきた。 しかし、1990年以来、電気通信市場の世界的な自由化の時代を迎え衛星システムの多様化を求められてきたことに応え、INTELSATも手続きの自由化、簡素化を促進している。 1995年8月、デンマークにて開催されたINTELSAT第20回締約国総会では「機構に よるサービスの提供は国内、国際の競争法に合致し、公正な市場環境を害さず、市場の透明化に寄与すること」という条件が認められた。(注5)

1995年のゴア副大統領が発表したGII: Agenda for Cooperation にはインテルサットの会社化、完全民営化も提案されている。(注6)

PEACESATの誕生

ケネディの宇宙開発は冷戦期における軍事目的 が背景にあるものの、同時にINTELSAT設立にむけた通信サービスの世界的平和利用を進めたリーダーシップの現れでもあった。 このような時代背景の下、NASAの実験衛星を利用した福祉・教育ネットワークの実験プログラムが太平洋島嶼国で始められたのである。1969年NASAは、実験衛星であるATS-1を使用した実験プログラムの申請を公募した。1966年に打ち上げられたATS-1はNASAの所定の実験を一通り終了し、他の実験にも利用したいとの考えからである。

米国連邦政府の教育省に勤務していたJohn Bystrom教授は過去に アメリ東海岸の過疎地域教育に関わった経験から衛星を利用した 遠隔教育の効果 を期待し、太平洋島嶼国をカバーする実験計画を申請すべくハワイ大学へ移った。前PEACESAT本部の責任者Lori Mukaida氏に筆者がemailでインタビューしたところでは、Bystrom教授がこの地域に関心を持ったのは過去に平和部隊として 太平洋島嶼国で働いたことが理由であろうとのこと。また、連邦政府の教育省に在籍していたことがNASAとのコンタクトを容易にした理由であろうと述べている。PEACESATは形式的にはハワイ大学の事業ではあったがBystrom教授の強いリーダーシップなしには立ち上がらなかった、といえよう。(注7)

この計画はPan-Pacific Education and Communication Experiments by Satellite (PEACESAT)と称し、ハワイ大学のJohn Bystrom教授をリーダーにプロジェクトチームが組織され、1971年4月にスタートした。チームの2人の技術者はシンプルな機能を持つ八木アンテナと卓上ラジオで作動可能な低価格の地球局の設計に挑戦した。その結果、一つ600米ドルから2000米ドルのわずかな金額で部品を揃えることが可能となった。当初、 PEACESATはハワイ大学マノア校舎、ヒロ校舎、およびマウイ島のコミュニティカレッジの3箇所のみを対象としたコンピューターネットワーク実験を行うだけのプロジェクトであった。その後この実験の情報を得たニュージーランドのWellington Polytechnicが実験に参加することを申請した。Wellington Polytechnicは米国のコミュニティカレッジに準ずるものである。

外部から実験参加者を加え、徐々にPEACESATプロジェクトは太平洋に広がっていったのである。

USPNETの設立

1970年に設立 された南太平洋大学は衛星を利用することで大学がカバーする広大 な地域と、時間差を克服することを当初より考えていた。米国宇宙 開発の先駆者William Pickering教授の助言を受け、当時のハワイ大 学学長Harlan Cleveland博士と同大学評議会は、ハワイ大学内のみ の実験だったPEACESATに南太平洋大学が参加することを承認した。

南太平洋大学のSchool of Natural Resourcesで働く平和部隊Alan CuttinとDavid Berkowits博士がハワイ大学のJohn Bystrom教授の助言を得ながらATS-1を利用したネットワーク開発を行った。 さらにカーネギー財団の助成を受け、NASAとUSAIDからも協力を得てUSPNetの計画を準備した。1972年に第一段階の通 信ネットワークはスタートした。 1973年にNASAの承認を得て音声のみの受信発信が可能な8局を設置した。1978年にはUSAIDから700,000米ドルの助成を受け本校のラウカラ校と西サモアのアラフア校を結ぶ10のエクステンションセンターに衛星通信用のシステムを設置した。1974年から76年 にかけてPEACESATは地上局をクック諸島、ニウエ、ソロモン諸島、ギルバート諸島、ニューヘブリデス諸島、西サモアに設置し音声通信の実験を行った。USPは衛星通信を利用し1週間に14時間、生徒へのチューターリング、スタッフへのセミナー開催、遠隔 教育管理運営に関する情報の交換などを試験的に実施した。 この成功を踏まえ、本格的にUSPNet構想に取り組むこととなったのである。太平洋島嶼地域の国際機関である南太平洋大学がUSPNetの計画を推進に移すには、南太平洋大学メンバー国の教育・郵政大臣の承認を必要とした。PEACESATがどれほど安い価格で教育や社会開発に効果的なネットワークかということは、当時まだ社会インフラとしての基本的通信環境が整っていない太平洋島嶼国の政策決定者にとっては理解が難しかったそうである。ともあ れ南太平洋大学の担当者は時間をかけ、将来的な成果を少しづつ示しながら各国への理解を深める努力を重ね、1978年にUSAIDに提出した最終申請案を作成したのである。(注8)

その他のサブネットワークの開発(注9)

1971年から1985年の間 にPEACESATの地上局は140箇所にのぼり、PEACESATを利用し たUSPNetのような独自のネットワーク、サブネットーワークがいくつか構築された。

■ALOHA NetAdditive Links on-line Hawaii Area System

ハワイ大学のAbramson教授が中心となり、ハワイの7つの島の分 校からオアフの本校にコンピューターアクセスを試みた。 Abramson教授は次の段階としてこのARPANET(注10)への接続を試みると同時にATS-1を利用した「汎太平洋コンピューター ネットワーク」計画を提唱した。

■Kangaroo Net

オーストラリア主導で進められたこのプロジェクトはオーストラリアに40の地上局を設置した。

バツ1 この種の衛星の有効な利用方法、

バツ1 将来打ち上げられる通信衛星AusSatの小規模利用者のための 
設備、

バツ1 潜在的衛星通信利用者の発掘、

バツ1 太平洋地域を対象とした広範な通信実験が目的であった。

■MicroNet

グアム大学が中心となって設置。遠隔教育をミクロネシア地域に提 供。元々は米国内務省が国連信託統治領であるミクロネシア各国の平和部隊の活動支援のために1978年設置したものである。

■ASIANET または PACNetPacific Area Academic Computer

NetworkはALOHANetを拡張する形で日本の東北大学、電気通信 大学、タイのKing Mongkut Institute of Technology、アラスカ 大学、シドニー大学などが参加し、コンピューターネットワーク形成に関する基礎的通信実験を行った。

■DISPNET

米国内務省が運営。太平洋島嶼国の米国が管理する信託統治領の運営管理のためのネットワーク。

■その他

海洋法の会議により提出されたラジオ通信を利用した実験がいくつか行われた。

3.2 PEACESATの再スタート(1985年から1992年まで)

ATS-1の消滅1981年、PEACESATはハワイ大学の研究協力部(Research Corporation of the UH)から社会科学研究所(Social Science Research Institute)に移動し、所長のDonald M. Topping教授がプログラムの責任者となり、Lori Mukaida氏(注 11)が共同研究者となった。 PEACESATはベースを得て、以前よりも各サイトの調整役を効果 的にこなせるようになった。しかしながら1985年8月1日には使用 していたATS-1の燃料がいよいよ切れて軌道をはずれPEACESATは利用不可能となってしまったのである。 いくつかのプログラムはHF/SSBラジオ通信やATS-1の姉妹衛星であるATS-3を利用して続けられた。 しかしATS-3のフットプリントは太平洋全域をカバーしておらず、 さらに燃料切れのため移動することもできなかった。Mukaida氏によれば、衛星を失った3年間PEACESATのユーザー達はそのコミュ ニケーションを決して絶やすことはなかったという。 短波無線や、通常の電話回線、また軌道を一端外れたATS-1が軌道に戻った時を利用しながら代替衛星を探す努力を続けたという。 Mukaida氏がPEACESATに向けた熱意の動機は以下の本人の言葉に見いだされるだろう。

I knew that the people in the Pacific would not let go of the concept just because we lost the satellite. I knew because I was an active member of the network, a user, and very committed to the concept and the constituency,

またMukaida氏は隔絶された地域に対するPublic Service Telecommunicationのコンセプトとその意義とは、「必要な時に情報にアクセスできることではない。」という。即ち、Public Service Telecommunicationは常に人々がつながっている環境のことである。

その意味では、通信の自由化による対策として隔絶された地域の 人々や経済的に貧しい人々に対し緊急時に通信を無料で使用できる案等が出ているが、それではPublic Service Telecommunication の役割は果たされていないのである。隔絶された地域の人々や経済的に貧しい人々にとって緊急時だけでなく、たわいもない日常の会話や孤立していないという感覚を持つことが重要で、そのために常につながっていることが必要なのだと思う。

さらにMukaida氏はネットワークとは技術が作るものではなく人が作るものであることを強調する。(注12)

他方、USPはUSPNetが大学運営にもたらす効果が大きかったこと から、早くからATS-1が途中でなくなってしまうことに警戒感を もっていた。1981年にはすでにATS-1の軌道運行は不正確になり、通信状態は悪化していた。

1984年、USPNetは太平洋島嶼地域の政府間機関であるSouth Pacific Bureau of Economic Co-operation (SPEC)が運営する South Pacific Islands Telecommunications Development Project (SPTDP)(注13) の一部となることが、大学の要請を受ける形でSouth Pacific Forum (SPF)(注14) によって承認された。 よって大学は各国および地域機関の電気通信の専門家や政府の通信関係諸機関の支援を得ることができ、1985年にATS-1が消えてから13か月後の1986年9月1日には商業衛星INTELSATを利用した新たなUSPNetを再スタートすることが可能となったのである。 Cable and Wirelessと各国の電気通信事業者の協力で1988年まで INTELSATの宇宙局を無料で使用することができた。 その後USPが衛星宇宙局使用料を年間17,000フィジードルという通常の半分の使用料を払う条件で1990年まで契約は延長され、今日もこの状況が続いている。GOSE IIIによる再スタート-Daniel K. Inouye上院議員及び連邦政府の支援-PEACESAT利用者達は代替のシステムが継続されるよう米国議会と関係連邦機関に嘆願した。この嘆願は「PEACESAT再スタートプロジェクト」としてハワイ州のDaniel K. Inouye上院議員によって議会に提出されたのである。1987年12月、米国議会はPEACESATの重要性を認め$3.4Millionの予算をその再構築のために付けた。またPEACESAT の管理組織として、Department of Commerceの下部組織National Telecommunication Information Agency(NTIA)を配置した。また代替衛星にはNational Oceanic and Atmospheric Administration(NOAA)の中古気象衛星GOSEIIIが使用できることになった。Mukaida氏によればATS-1を失ってから太平洋島嶼国に広がるPEACESATのユーザーは代替衛星の研究に協力し、各国のリー ダーを動かし何千通 もの嘆願書を米国議会へ送ったという。またNASAもPEACESATのドキュメンタリービデオを作成し連邦議会に紹介するなどの貢献をしたそうである。このような積極的な キャンペーン活動の努力が予算獲得に結び付いたという。ハワイ州のDaniel K. Inouye上院議員(民主党)がこの PEACESAT再スタートに大きな貢献をしたことは広く知られている。

ではInouye上院議員のPEACESATの支援動機は何であろうか? 第4章で述べるように、ハワイは米国の太平洋戦略の拠点である。さらにハワイ自体がポリネシア文化圏に属しており、Inouye上院議員はハワイ先住民への支援やアジア太平洋の研究拠点である East West Centerに対し連邦政府から積極的な予算獲得を行っている。(注15) Inouye上院議員が太平洋島嶼に特別な意義を見いだしていることは明確であろう。Mukaida氏によればInouye上院議員共和党政権になるまでの長い間Department of Commerce の監視委員会の委員長を務めており、現在でも同委員会のSenior Memberとして強い影響力を持っているという。そして PEACESATと関係の深い、NASA, NTIA, NOAAは全てInouye上 院議員の発言が直接影響するDepartment of Commerceの下部組織であるため自ずとPEACESATに協力的になるのだととい う。(注16)

仙台会議とPARTNERSの誕生新しい中古衛星GOSEIIIを得たPEACESATがその再編成を太平洋島嶼地域全域に展開するにあた り、新たに各国政策者との合意を形成するためにも関係者とのFace to Faceの協議が必要であった。しかし、このような会議を 開催する費用はハワイ大学からも連邦政府からも拠出される可能性は低かった。

当時のディレクターであるLori Mukaida氏は電気通信大学の小菅 敏夫教授の紹介で、1991年笹川島嶼基金に申請書を提出してき た。そして、過去にPEACESATと共同研究を進めていた東北大学 のある仙台において1992年2月、PEACESAT Policy Conferenceが開催された。この会議実現の裏には2つの偶然な条件があった。 一つは当時の島嶼基金がその事業を進めるためのしっかりしたガ イドラインを持たないままプロジェクトファインディングを行っていたという事実がある。(注17)

もう一つの偶然は1992年の国際宇宙年(注18)を迎え、郵政省が国産衛星を利用した国際協力事業、PARTNERS計画を作成中だったことである。(注19) 郵政省は仙台で開催されたPEACESAT Policy Conferenceの日本のカウンターパートとして会議開催の協力を行うと同時に、当時の政務次官を会議に出席させ、正式に 「パートナーズ計画」を推進することを発表させたのである。(付録資料6参照)(注20, 21)

このような経緯で開かれた仙台会議には21の太平洋の国領土から約90名の参加者があった。郵政省は同会議開催にあたり、同時進行の形で「汎太平洋テレコムネットワーク国際シンポジウム」を開催しパートナーズ計画について協議をおこなった。4日間の会議を終えて仙台宣言が採択された。(付録資料7参照)

同宣言ではPEACESATの将来的なサービスの範囲にASEAN諸国も 含めている。そして宣言文にはGOSEIIIとPARTNERSが使用する 中古衛星ETS-Vの次に来る機能的なネットワークに向けて一致協力して行動してく、と述べられている。しかし現在まで具体的な協力事業は行われていない。 PEACESATのユーザーではない日本がその運営方針に関与したということは少なくとも太平洋島嶼国の人々から見れば日本のなにがしかの意志を示すものと取られても当然であろう。この会議が、PEACESATのユーザーを一堂に会した初めての歴史的な会議であったにも拘わらず、日本で開催された意味が今一つ明確になっていない。

しかしながら、本会議は次の2点に関し評価できると思う、1点目 は仙台会議が開催されなくても郵政省は遅かれ早かれPARTNERS 計画を実施に移していたかもしれないが、結果として同会議が一つの起爆剤となったこと。2点目はPEACESATと日本政府との正式なコンタクトがこれによって確立したことである。(注22)

3.3 PEACESATサービス改善計画(1992年から現在まで)

PEACESATの課題

再スタートしたPEACESATは離島も含めた太平 洋島嶼国に地球局を次々と設置していった。公的な利用を目的とするPEACESATは各国の政府の申請に基づいて、主に太平洋島嶼国の教育省や漁業省に設置された。特に域内の地域機関Forum Fisheries Agency (FFA) にとって、太平洋地域の重要な漁業資源の管理のためにPEACESATは重要なコミュニケーション手段であった。 また、トケラウのような電気通信インフラの整備されていない地域ではPEACESATのおかげで離島を結ぶ遠隔議会の開催などが可能となった。(注23)

一方、問題点も多数顕在した。 第一にPEACESATが開始された1970年初頭の太平洋島嶼国の電話 サービスは現在のものより数段遅れていたため、質の低いPEACESATのサービスも大いに歓迎されたろうが、現在では逆に不満の種となったこと。 第二には、中古衛星を使用するということはATS-1のようにいつかまた衛星が軌道から外れ、新しい衛星を探さなければならず、安定したサービスを受けられないことを意味すること。 第三にPEACESATはあくまでもハワイ大学の衛星実験プログラムであり、これをたとえ公益とはいえ通常の組織運営に使用することに対し各国の通信事業から激しいクレームが出たこと。 そして第四にネットワークの唯一のハブがハワイにあるPEACESAT本部なため、日付線が存在する東西に広い太平洋の時差にハワイ大学のスタッフが完璧には対応できないことも上げられる。即ち通常の通信業者とは違い24時間のサービスをPEACESAT は太平洋島嶼国全域に提供できない運営体系になっているのである。

PEACESAT本部はこれらのクレームに対応するためインターネッ ト利用やNTIAからのさらなる資金援助や、代替衛星の研究などさ まざまな努力を重ね、1994年にPEACESATサービス改善計画 (PEACESAT Service Improvement Plan:SIP)を発表した。より強いニーズを現場に作ることでPEACESATのさらなる発展を目指したものと考える。

PEACESATサービス改善計画(PEACESAT Service Improvement Plan:SIP)

PEACESATとNTIAはユーザーのニーズを調査し、短期 もしくは2007年までのユーザーのニーズとして下記の7点を上げている。(注24)

■Internetなどの情報サービスのためのデータ回線増設

■マルチアクセス(音声/データ)のサポート

■高品質の音声/データ用のチャンネルの確保

■64Kbpsのより速いデータ通信

■圧縮ビデオによるテレビ会議

■高速データコミュニケーション

■フルモーションによる画像転送

これらのニーズに応えたPEACESAT Service Improvement Plan:SIPをPEACESAT本部が策定し各国に紹介した。

同案にはハワイ以外に10のハブサイトを設置することが述べられている。しかしこのハブの設置にはUS$156,200が必要で、この費用は各サイトで用意しなければならない。PEACESAT本部は主要な関係機関に呼びかけ各地域ごとにTask Forceを組織し助成申請をしかるべき援助機関にすることをアドバイスしている。

近藤はこのSIPに関し4つの問題点を指摘している。 第一にSIPが実現されれば、全体のユーザーはハブサイトから構成されるデジタルユーザーと既存のシステムのままのアナログユーザーに分れてしまい提供されるサービスに大きな差が出てしまうこと。 第二にはSIPの高機能サービスに必要なハードウェアの費用負担の問題を上げている。 第三にアナログ回線とデジタル回線の同時使用に起因する技術的な問題である。 そして第四に運営管理上の問題として各ハブサイトが自力で人材と資金を賄っていけるか、さらに一般の公衆回線につながることは今まで限られたユーザーに提供していたサービスが万人につながるようになるため、セキュリティ管理と各国の国際通信事業者の利益を奪うことになることを指摘する。(注25)

このPEACESAT本部が発表したSIP提案を受け、ミクロネシア連邦 に1994年半ば頃Pohnpei PEACESAT Task Forceが結成された。このTask Forceは新校舎の建設を予定していたCollege of MicronesiaにSIPのハブサイトを設置しようという計画を作成して いる。(注26)

Task ForceのメンバーにはCollege of Micronesia, ポナペ州教育省、州議員代表、Micronesian Seminar(教会系教育NGO), FSM連邦教育省、FSM連邦通信省、FSM連邦資源開発省、それと保険医療関係者が名を連ねており、College of Micronesiaの学長Susan MosesがTask Forceの代表になっている。

同計画書にはFSM大統領から米国内務省宛ての推薦書を始め、国内の公的機関から同案を支援する手紙が添付されている。筆者が 1997年ポナペを訪ねた際、Task Forceのメンバーであった Micronesian Seminarの所長Hezel牧師にこの件に関しインタビューすることができた。結局同計画は実現されなかったが、その原因の一つには資金の当てがつかなかったという問題もあったが、近藤が指摘するように通信業者の強い反対があったという。

Pohnpei PEACESAT Task Force当てにFSM Telecomから出された手紙には同計画がFSMのPublic Lawに述べらている「FSMに おいてはラジオテレビ以外の通信は独占通信事業体によって運営される」(注27)という内容に反するものである、ということを述べている。

現在までSIPが実現したという話は米領グアム以外では聞かれず、 逆にSIPの提案はPEACESATユーザー達の失望を増すことになったようだ。さらに、通信事業者はSIPを発表したPEACESAT本部に 対する不信を益々高める結果となった、と言えよう。

米国のPEACESAT支援

それでは、このように問題を山積みする PEACESATを米国政府はどのように見ているのであろうか。

Daniel K. Inouye上院議員の支援は先に述べたが、PEACESATは米国がイニシャティブを取る情報通信政策にも関わっているのであ る。ゴア副大統領が掲げる「情報ハイウェイ構想」を政策の重点に置いたクリントン政権はNational Information Infrastructure (NII)構想の発表に続き、Global Information Infrastructure (GII)構想を1994年3月ブエノスアイレスで開催された第1回国際 電気通信会議で世界に呼びかけた。そして1995年には「GII協力ア ジェンダ」が発表された。「GII協力アジェンダ」は次の様なメッセージで始まる。

Let us build a global community in which the people of neighboring countries view each other not as potential enemies, but as potential partners, as members of the same family in the vast, increasingly interconnected human family. “Preface, THE GLOBAL INFORMATION INFRASTRUCTURE: AGENDA FOR COOPERATION”. (注28)

このメッセージにはケネディが行った宇宙開発と国際衛星利用に関するスピーチにある通信の世界的平和利用という共通する理想が述べられていると言えよう。この「GII協力アジェンダ」に中に、国際的にGIIを進める共同作業をしていくことの有効性を明らかにする実 例としてゴアはPEACESATを取り上げている。(注29)また、GII構想の5つの基本原則の5番目には「ユニバーサル・サービス」の保障を上げている。(注30)

さらにNTIAは1995年に発表した通信政策、Connecting The Nation: Classrooms, Libraries, and Health Care Organizations in the Information AgeでPEACESATのことを取り上げ、 PEACESATが米国の領土を含む太平洋島嶼国という隔絶された地域に対し、連邦政府のサービスが容易に提供することを可能とし、 太平洋島嶼国を世界に結ぶ役割果たしている、と述べている。(注31)

注 釈

注11958年に設立されたNASAが行った実験衛星の数々の成功は、現在の情報通 信に衛星が大きく貢献している。下記にATSまでの実験衛星をまとめる。

ECHO ラジオ電波受信機能を持つ衛星。Echo 1 - 1960年打ち上げ。Echo 2 - 1964年打ち上げ

TELSTAR AT&Tが自己資金で企画した実験衛星。NASAは打ち上げに協力した。ケネディ政権が衛星通信をCOMSATのモノポリー事業と決定したため中止となる。Telstar 1 -1962年打ち上げ。 Telstar 2 - 1963年打ち上げ。

RELAY 地上からの電波受信と地上の異なったポイントへの電波返送が可能な衛星。Relay 1 - 1962年打ち上げ。Relay 2 - 1964年打ち上げ。

SYNCOM INTELSATとNASAの実験衛星ATSシリーズの開発に貢献した衛星。Syncom 1 - 1963年2月打ち上げ失敗。Syncom 2 - 1963年7月打ち上げ。Syncom 3 - 1964年打ち上げ。

ATS ATS-1 - 1966年打ち上げ。ATS-2 - 1967年打ち上げ。ATS-3 - 1967年打ち上げ。ATS-4 - 1968年打ち上げ(軌道に乗らなかった)。ATS-5 - 1969年打ち上げ。ATS-6 - 1974年打ち上げ。

注2 米国では1972年にオープンスカイポリシー(Open Sky Policy)が採用され、国内衛星通信市場に通信事業者の自由参入が認められるようになった。1974年にWestern Union社のWESTAR衛星が運用を開始。現在ではGE Americom社、Hughes Communications Galaxy社、AT&T社の3社の衛星通信事業者所有する多くの衛星通信システムが利用されている。飯田尚志編著『衛星通信』を参照。

注3 John F. Kennedy, "Special Message to Congress on Urgent National Needs," May 25, 1961, Public Papers of the Presidents, John F. Kennedy, Vol. I, P. 404. "First, I believe that this nation should commit itself to achieving the goal, before this decade is out, of landing a man on the moon and returning him safely to the earth."

注4 U.N. General Assembly, 16th Session, Resolution 1721, Section P. "communications by means of satellite should be available to the nations of the world as soon as practical, on a global and non-discriminatory basis."

注5 郵政省通信政策局『衛星通信年報』参照。

注6これに対し石黒一憲は「インテルサット設立時の理想を忘れたアメリカの貿易オンリーの発想と市場原理・市場競争による膨大な富の自国への再配分という赤裸々な欲求以外なにもない」と述べている。石黒一憲『世界情報通信基盤の構築』94-226頁参照。

注7 筆者はハワイ在住のLori Mukaida氏にemailでインタビューを試みた。 1998/12/23付けのemailでMukaida氏は、Bystrom教授以外にもハワイ大学のPaul Yuen教授(Dean of the College of Engineering), ハワイ大学のKatashi Nose教授の技術的サポートがなければPEACESATは成立しえなかった、と述べている。

注8 当時のUSP Extension Centre所長(初代)Peter McMechan氏に筆者がインタビューした内容を参考。

注9 PEACESAT, PEACESAT NEWS FILE 1970-1975, を参照。

注10 1969年に米国防総省は各地に分散されている軍事研究をコンピューターで結ぶARPANETを稼働し始めた。これは現在広く使用されているInternetの源流である。

注11 Mukaida氏は1997年初頭までPEACESATのDirectorを勤めた。その後は病気が理由で現場を離れているが席は保留されている。彼女は1970年代から学生アルバイトとしてPEACESATに関わってきた。1988年米国議会の支援を受けてPEACESATが再スタートした頃から、PEACESATの中心的存在となった。米国議会との折衝、太平洋島嶼国の関係者との交渉、各PEACESAT地上局オペレーターの技術指導、代替衛星の確保や新アプリケーション開発まで、現在のPEACESATはまさに彼女一人で構築してきたとも言える。なお、Mukaidaの名前は日系2世のご主人もので、本人はカナダ出身。

注12 1998/12/23付けMukaida氏のemailより。

注13 SPTDPとは1980年にSouth Pacific Forumによって国内及び域内の電気通信を早急に改善する必要があるとの認識のもとに、太平洋島嶼のルーラル地域、離島の電気通信調査をSPECに委託。その調査結果を受けて設置した事業。

注14 SPECの上層機関でオーストラリアとニュージーランドを含む太平洋島嶼国14カ国のリーダー達によって構成された地域機関。

注15 Inouye上院議員Web Siteを参照。http://www.senate.gov/~inouye/ 

注16 1998/12/23付けMukaida氏のemailより。またMukaida氏は太平洋が米国にとって戦略的地域であることの理由として、漁業、核実験、核廃棄、戦争を上げている。

注17 1991年に筆者は同基金のプログラム・オフィサーとして就職し、事実上唯一人の事業担者として同案件を担当していたので確信を持って証言する。基金がなんらかの明確な戦略を持って同案件の助成を決定したわけではなく、他の案件に比べ比較的質の高い案件であったことが支援理由である。但し、事業担当者である筆者は、PEACESATが、すでに南太平洋大学から基金に対し打診されていたUSPNet再構築申請案件の代替システムになることを予想して積極的に同案件の助成を推薦した。また、翌年の1992年に基金ガイドラインを策定する際、3つの柱の一つに情報通信を入れたのはPEACESATやUSPNetというニーズを確認した結果 であった。

注18 国際宇宙年とは、コロンブスのアメリカ大陸発見から500年、宇宙時代の幕開けでもあった国際地球観測年から35年にあたる1992年を記念して米国から提唱されたもの。1989年の国連総会において、1992年を国際宇 宙年とし(ISY International Space Year)各国の宇宙機関が中心となり、 特に開発途上国のニーズを考慮しつつ宇宙分野の国際協力を促進するため の事業を支持することとなり、ISYの実施にあたっては国連が中心的な役割を担うことが決議された。

注19 日本の郵政省がISYに参加する意義として次の3点をあげている。1)通信・放送分野は、宇宙開発において、実利用の最も進んだ分野であり、今後とも発展が見込まれることから、宇宙開発を進めるとともに、国際協力の観点から途上国への普及を図っていく必要がある。2)郵政省としては、通信・放送分野の宇宙開発の成果を十分アピールするとともに、途上国への宇宙開発の成果の還元、技術移転等を含む教育・普及活動を行うため、ISY活動に積極的に参加していく必要がある。3)きく5号(技 術試験衛星V型(ETS-V))を利用しての「国際宇宙年/汎太平洋衛星通信トライアル(PARTNERS)」については郵政省として、関係機関の協力を得て平成4年度に実施する予定。

注20 このパートナーズ計画を実際に策定した郵政省の担当官からは、当時国際 宇宙年を迎えるにあたり、日本の国連大使から外務省に対し日本主導の事業を早急に策定するよう要請があり、それに応えてこの案を郵政省が作成したという。PEACESATや他のアジア太平洋地域の衛星による国際協力のアイデアは直接パートナーズ計画に影響していないとのこと。

注21 1991年8月郵政政務次官笹川議員はハワイのPEACESATを訪ね太平洋島嶼国の人々と交信している。ちなみにこの時期笹川議員がこのポジションにいたのは単なる偶然である。

注22 1991年頃の日米関係は良い状態ではなく、米国政府は以前に比べ関心がなくなったとは言え、自分達が支援してきたPEACESAT再スタートのおひろめを日本で行うことに連邦政府レベルで反発があったと聞く。他方日本の外務省の一部からは米国の事業であるPEACESATを日本が支援することに異議を唱える発言もあったと聞く。

注23 筆者が1998年7月にハワイのPEACESATを訪ねたとき、Assistant DirectorのChristina Higa氏からFFA,トケラウともPEACESAT以外の公共通信の利用が可能になり、PEACESATの役割は終わったことを聞いた。

注24 Okamura, H. Norman and Lori Mukaida: PEACESAT: A Regional Telecommunications Alliance in Transition.

及び

近藤幸一『PEACESAT Service Improvement Planについて』太平洋学会PIT研究部会資料、 1995年1月19日を参照。

注25 近藤幸一同前書を参照。

注26 Pohnpei PEACESAT Task Force, Pohnpei PEACESAT SIP Proposal, FSM, n.d.. 

注27 FSM Public Law 2-10, Section 203(1)to operate as the sole provider of all telecommunications service, expect radio and television broadcasting, within the Federated States of Micronesia and between points in the Federated States of Micronesia and points outside thereof; 

注28 GIIに関しては次のWebを参照。 http://www.its.bldrdoc.gov/home/gii_1.html

注29 GII AGENDA FOR COOPERATIONではPEACESATに関して次のように述べている。 "Computer and satellite networks can provide monitoring and, in some cases, early warning of natural disasters, ..” 

注30 GII AGENDA FOR COOPERATIONではユニバーサル.サービスに関し て次のように述べている。"Although the provision of universal service varies from country to country, the goal of providing all people with greater access to both basic and advanced services is a crucial element of the GII. The United States will join with other governments to: Consider, at the local and national levels, the benefits afforded by the introduction of competition and private investment in meeting and expanding universal service; Exchange information at the bilateral and multilateral level to address the range of available options to meet universal service goals; and Consider, at the national and international levels, ways to promote universal access as a means of providing service to currently underserved and geographically remote areas." 

注31 NTIAの情報は http://www.ntia.doc.gov/を参照。