今から17年前、1999年に書いた2つ目の修士論文である。
1991年、USPNet(南太平洋大学の遠隔教育ネットワーク)を担当。情報通信(ICT)の右も左もわからないところから始め、太平洋島嶼国の事も主に現場を中心に学んで来た。7年かけてUSPNetを日本のODA案件にする事ができた。1997年第1回島サミットの目玉事業となったのだ。
自分がやって来た事、学んで来た事をまとめたいと思い、以前からその御著書で学ばせていただいた渡辺昭夫教授の門を叩いた。 その時私は試験を受ける前に担当希望教授に面談するという事をせず渡辺先生のお顔を知らず受験した。面接試験の時の事は忘れられない。
面接官から
”Why Aoyama?”
と英語で聞かれた。
私は「渡辺先生がいるからです」と答えた。その面接官は笑いながら「じゃあ落せないな」と言われた。その面接官が渡辺昭夫教授であった事は合格した後で知った。
渡辺先生の下で修論を書いて17年が過ぎようとしている。この修論をあるところに提出する必要があり、やっと見つけたウェッブデータの編集作業をした。
懐かく、勉強した事が蘇って来る。稲村公望氏から紙媒体にしないと残らない、とアドバイスをいただき印刷物にする事とした。私が島のICTに関心を持ち続ける事ができたのは稲村公望氏のおかげである。奄美大島出身の郵政官僚だった稲村氏からは島にとってのICTの意味、哲学を授けていただいた恩人である。
実はこの修論を提出した直後自殺に追い込まれるような事が次々と自分の身の上に起った。あれから17年。まだ自分は生きている。この修論は自分が財団に入って為し遂げた成果の整理であると共に、自分の人生の中で重苦しい事件に覆われた存在だ。それを掘り返し世の中に出すのは自分がまだ生きている証拠である。
内容は古いし、自分の見解も相当間違っているかもしれない。それでも太平洋島嶼国のICTがどのような状況であったかを残す資料として、誰かの役に立つ事があれば幸いである。
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