日文研主催の反日、反安倍集会に参加しなければ葦津珍彦著『国家神道とは何だったのか?』を読む事はなかったであろう。
オークランド大学のマリン教授が批判していた「神道」。感覚的にわかる。あれは何だったのだろう?戦前のファナティックでショーベニスティックな神道。 本来の神道はもっと柔軟でオープンで宗教と言うより「治教」であった。
『国家神道とは何だったのか?』は2回しか読んでいないので誤解しているかもしれません。 神道が、神社が辿った道を知ると現在の、そして未来の神道も気なる。マリン教授ような反日、反安倍のプロパガンダに使われれる可能性も大きいし、また「ファナティックでショーベニスティック」な神道を求める民衆もいるだろう。 今週、明治神宮の近くに滞在したのをきっかけに訪ねてみた。 写真記。 まずは至る所に明治天皇のおうたが。 立ち止まって声に出してうたってみる。神道は治教だ、と納得。
神宮は日の出と共に開門する。 朝の神社は清々しい。守衛のおじんさんがどんどん写真とっていいよ、って。明治神宮は意外と気さくだった。
そして驚愕のフランスのワイン樽!これも明治天皇の大御心。
よきをとり あしきをすてて 外国(とつくに)に おとらぬくにと なすよしもがな
で、私も一首。
ワインとり 革命すてて フランスに おとらぬくにと なすよしもがな (島女)
靖国にもワイン樽、ビヤ樽等々世界のお酒の樽を置いたらどうであろうか?