やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ローレンツ・フォン・シュタイン著『平等原理と社会主義』(4)

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 シュタイン博士の『平等原理と社会主義』。読むつもりはなかったのだが、開いて良かったと思う。

明治以降の日本国形成に貢献した同博士の本がマルクスの共産主義宣言に繋がっているとは!

日本にもシュタイン研究者は何人かいるようだが、今自分にそちらを勉強する余裕はない。

しかし、現在の海洋法を支える哲学の一つ「人類共通の財産」という共産主義っぽい(私は共産主義とは何なのか理解していない)アイデアを理解するためにも、改めて読み返したいとは思っている。

 

さて、ローレンツ・フォン・シュタイン著『平等原理と社会主義』のルソーについて書かれている部分をメモして、一応この本は図書館に返す事にする。

 

ルソーも、実はキチンと知らない。「♪結んで開いて♪」の作曲者である事は知っている。自由教育の元祖のようである事も。しかし「社会契約論」は大昔読んだが中身は全く記憶していない。

 

そのルソーをシュタイン博士はフルボッコしている。どうやら共産主義のアイデアの起源の一つはルソーなのだ。以下、『平等原理と社会主義』から書き出す。

 

「本来ルソーの『社会契約論』の本質的帰結は、彼がその中で平等の理念を国法および社会の基礎として承認したことではない。ー中略ー ルソーの与えたもっとも重要な影響は、この原理から外れた実際の状況をすべて、たんなる強者の権利に基づくものとしたことにある。ー中略ー ここには『社会契約論』と革命とを密接に結びつける絆がある。ー中略ー 国民は、暴力それ自体を正当化する根拠を持とうとする。この根拠はまさに国民にあっては、自分たちが攻撃している事態は暴力の基づくものであるから、自分たちは暴力には暴力を、平等には平等を対置するだけだ、という思想の中に現れている。ー中略ー かくして『社会契約論』がフランス国民にとって、「だから力は権力を産み出さないことを認めよう」という、うさん臭い命題に集約されたことは、おそらく否定できないことであろう。」 P55-56

 

以上の箇所は全部書き出したいくらい興味深い。

この後、シュタイン博士は、平等に関する精神的なものと法的なものがフランス国民に理解されず、この矛盾を抱えたまま、そしてその矛盾を否定することが革命へと進ませた、と議論を展開している。この箇所も興味深い。

 

もう一カ所、ロベスピエールを引いて、ルソーを痛烈に批判している箇所がある。88ー89頁

 

「たいへん熱しやすい心をもち、革命への勇気を呼び起こした火花、即ちルソーは、つぎのように語る。」と『社会契約論』の第一篇第38章が紹介される。ここは省略しシュタイン博士の分析を引用しておく。

「もっとも貧しい国民大衆を考えてみたまえ。彼らは、最初はロベスピエールのもとで現実的な支配をかちえていたが、彼らの手中から国家の支配がすべり落ちてしまい、ルソーがあのように厳しい有罪判決を下した富と貧富とが、いまや自分たちのもとに生じたことに気づいたのである。」そして平等原理が共産主義を導いたことが、ルソーだけでなく他の論者の議論も引用して、さらに分析されるのである。ここら辺は、共産主義を理解するのに重要な気がする。

 

シュタイン博士のルソー批判が453頁にもある。共産主義は富の平等だけでなく、精神の平等も求めた。それは科学も、知的生活もない、教育である。シュタイン博士は「身の毛もよだつ作り話だ」と北アメリカの平等教育について書いている。

 

シュタイン博士の生い立ちも興味深い。かれは裕福な家庭ではなく、窮民保護院で育ったのである。そういう背景の人物が、権威や世の中の不平等を呪うことなく、日本に新たな国家形成の道を授けるまでの大学者になったのである。

不道徳の凡てを尽くしたアジテーター、ルソーと比べてはいけないかもしれないが、同じゲルマン民族に生まれたドイツとフランスの両極に位置しそうな2人が浮かび上がってきた。

 

 

最後の「結び」の、最後の文章を引用しておく。

 

「従来国家が社会を形成し、これを制約して来たが、これに対して、フランスにおけるこんにちの社会運動は、あらゆる現象の中で、自らは無自覚のまま、いまや社会の概念とその実際の生活を通じて国家を形成し、制約しようとの試みをふくんでいる、と。」p. 547-548

 

まさに「共産主義という不気味で恐るべき幽霊」がドイツにも訪れることを警告しているようである。(1848年革命を予測しているのか?)

この最後の「結び」の3頁には自由主義と平等原理も書かれていて、自由とは何かを理解しないまま、平等原理が共産主義が議論されていることを批判している。ここも興味深い。

 

それにしても読みづらい本である。悪訳なのか、原文がそうなのか。。将又アタシの頭が悪のか?