やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

30億円の基金を任されて(1)

自分の仕事のことを聞かれる機会が多い。

みんな誤解しているのだが、笹川平和財団という大きな組織の意図があって、その指示を受けて私が仕事をしている、わけではない。

私が与えられた「仕事」というのはかなり貴重な、ユニークな状況であった。

30億円の笹川太平洋島嶼基金をゼロの状態、いやマイナスの状態からまるまる任されたのである。

信じられないかもしれないが、本当の話だ。

1989年に設立された笹川太平洋島嶼国は、大の男4人がかりで立ち上げようと努力したようだが、見事にこけて、担当者は突然いなくなった。私はその担当者に会っていない。

財団に入った時に幹部から言われた言葉は一生忘れないだろう。

「ギルティを感じているよ。自由奔放にやってくれ給え。基金の目的から考え、自分で決定し、自分で実行するんだ。」

要は、おじさん4人がかりで立ち上げに失敗した基金を26歳の私に丸投げしたのである。

財団には太平洋島嶼国の事を知っている人は誰もいないのだ。

私は基金の目的、ガイドライン、残された事業、新たな事業を、サクサクと進めた。そして自由に太平洋の島々を渡り歩いていた。(勿論正当な手続きを経て)

学生時代から太平島嶼国の文章を書いていたし、内閣府の青年行政に関連した全国及び国際組織の幹部としての組織運営実績もあったので基金運営は難しい事ではなかった。

事業はどんどん成功した。衛星の事業は米国、日本政府の衛星政策に影響を与える結果となった。

こうなるとおじさん、おばさんは面白くない。いじめが始まった。

「自由奔放に」と言った幹部は

「お前が泣かないからみんなが虐めるんだよ。泣いてみろ!」

と言うようになった。

泣く暇なんかなかったのさ。事業はどんどん進み、国内国外のネットワークはどんどん繋がって拡大して行った。