やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

British Influence on the Law of the Sea 1915-2015, David H Anderson(読書メモ)

Robert McCorquodale and Jean-Pierre Gauci, British Influences on International Law, 1915-2015, 7 June 2016 に収められている

David H Anderson、British Influence on the Law of the Sea 1915-2015

を読んだ。

海洋法が協議されていく過程で英国が、太平洋島嶼国にどのような影響を与えたか書いてないか、と思って読んだがほとんど触れていない。

著者のDavid H Andersonは第3次国連海洋法会議の英国代表団のメンバーで国際海洋法裁判所の裁判官も務めていた。つまり海洋法制定の当事者なので、当事者だからこそ知っている情報もあるが、当事者だからこそ言えない情報もある、のではないか?即ちこの論文の中立性は疑問を持って読んだ方が良い。

興味深いのは、1967年のパルド大使の国連演説に対し、英国はHesitateしつつも反対しなかった、という箇所だ。(同書177ページ)即ち、人類共同の財産の概念を英国は支持した。もしくは黙認した。なぜ?そこは書いていいない。

米国は反対で、英国の差し金ではないか、と言っている。(パルド大使の演説の中にある)

それから沿岸国と海洋国の違いだ。(172、179、186頁)後者をボートグループとも呼んでいる。すなわち海洋のパワー、船を運行したり、魚を取ったり、その他海洋資源を開発したりできる国家と、ただ海に面している沿岸国(沿岸でしょぼしょぼ魚を取る程度)の違いである。

太平洋島嶼国は、ブルーオーシャンなどと言っているが海洋国家ではない。ボートグループではないのだ。

興味深いのはパルド演説の後、アフリカと南米で地域会議が開催されるが英国は参加できなかった、呼ばれなかった、ということだ。(178−179ページ)

1960年後半、英国はまだ多くの植民地、保護地、英連邦メンバー国を抱えてたはずだ。海洋法制定に向けて、英国独自の海洋政策と、旧植民地や保護区、英連邦メンバー国とのバランスも取ろうとしていたのではないか?

英国はフィジー国際海峡に関する、私的会合を共同議長として開催している。(181頁)

Conclusion(190−191)

英国は戦後、商船、海軍、海外領の量も数も減っていった。その中で国際協力の可能性が模索された。そして世界の商船を管理するIMOはイギリスにある。英国の法律家があらゆる面で国際的に影響力を未だに持っている。

と言うような結論である。

ここで、英国のEU離脱と、9つの外交使節再開のニュースが重なってくる。

英国のEU加盟は、英国独自の外交を弱体化させた、のだと思う。それは世界秩序、特に小国となって誕生した旧英領への影響は大きいのではないか。

太平洋島嶼国ではフィジーを先頭に、70年代の海洋法を主導したのは、英国やニュージーランドとの協調があったように思う。ここはこれから勉強する箇所。