やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

山中仁美『戦間期国際政治とE・H・カー』(2017年 岩波書店)読書メモ

山中仁美『戦間期国際政治とE・H・カー』(2017年 岩波書店

1. 同書を選択した背景

私の博士論文のテーマは太平洋島嶼国と海洋の管轄権の問題である。数千から数万人の人口を持つ太平洋島嶼国の主権国家として存立基盤が「自決権」である事は明確だ。博士論文では「自決権」自体が主要テーマではないが、その議論について簡単に整理する予定である。

現在までの文献調査で多くの「自決権」に関する議論を読んできた。その中の一人E・H・カーが『平和の条件』の中で「自決権の危機」を議論しておりその事を引用したいと思っている。しかし、私は国際政治学者としてのカーしか知らない。それも朧げにしか知らない。彼が歴史研究家でもあり、マルクス・レーニン、そしてロシア研究の第一人者である事は知っていてもその中身については一切知らない。また彼が外交官、大学教授、ジャーナリストとして活躍していた事は知っていてもその職業的立場と研究内容がどのように関わっているのかも知らない。しかし、巨人、E・H・カーを知るだけで数年はかかるはずだ。そこで既存のカー研究を探していたところに出会ったのが、山中仁美著『戦間期国際政治とE・H・カー』である。まさに、カーとは何者か?という疑問を掲げた論文である。

2. 筆者山中仁美について

論文の内容に入る前に筆者の山中仁美博士について触れないわけにはいかない。

「あなたのような駆け出しが巨人、カーを論じるなんて」で始まる同書の序に収められている論文「知的巨人、カーの実像に迫る」は2009年の「外交フォーラム」に初出したものでその箇所だけ記憶に残っていた。年齢差別、そして想像だが女性差別の意地悪なコメントは、当時一つ目の博士論文を初めていた自分にも重なって記憶に強く残ったのである。よって、若手の日本人女性研究家がカー研究をしている事は以前から知っていた。今回文献調査の中で彼女の研究成果に出会えた事は幸運であった。というより運命であったのかもしれない。

筆者山中仁美は2014年、博士論文を書き終えた数年後に癌で亡くなっていたのだ。39歳の若い命である。癌は高校生の頃に発病し、20年以上病との戦いの中で研究生活を、カーを選んで進めてきた様子が、山中博士の友人や知人からの記述に読み取れる。

山中博士の文章には一切の無駄がないのだ。そして問題意識が明確である。自分が死んだ後に何が残るのか、自分が生きた証は何か、そんな筆者の静かな叫びが聞こえて来そうな論文である。それは別の理由で命の縁を見ながら2つ目の博士論文を書いている自分に重なる部分が多く、山中博士の研究姿勢に共感を覚えずにはいられない。それほど、女性が学術研究を、博士論文を書く事に対する世間の目は冷たい上に、研究生活というのは命を掛けて行う孤独な作業なのである。前置きが長くなったが、論文がどのような立場で書かれているか知る事は重要なので、あえて筆者の背景を記述した。

3. 同書の優れた点と理由

まず第1章では「E・H・カー研究」を概観することで筆者の問題提起を浮き彫りにする作業をしている。最初に国際関係論におけるカーを扱い、リアリストというラベルを貼られ「規範なき相対主義者」とまで批判されしばらくは忘れられたカー。しかし、1982年の死去の後、再度積極的評価が始まる。カーのリアリストとユートピアンの共存を積極的に認める論調も出て来る。

次にカーの歴史研究、ソヴィエト・ロシア研究が取り上げられる。代表作『歴史とは何か』は多くの批判を含む議論を呼んだ。その一つが実証主義歴史学を支持する職業歴史家による「危険な相対主義」というものだ。しかし、カーの歴史観は現時点ではイギリスの歴史学的方法のメインストリームになっている、という。

戦後、カーは国際関係論そのものを否定し『ソヴィエト・ロシア史』14巻を書き上げる。ここでもどっちつかずのカーはイギリスの学会からは「親ソ的」とのレッテルを貼られ、左翼主義者からは「コミュニズムに対して非同情的」と映った。私は今までカーについて多様な、しかも対極的な批判を耳にする事が多く「カーとは一体何者か?」と悩んできた。この記述でその理由が初めて理解できた。

次に山中博士は国際関係論、歴史研究、ソヴィエト・ロシア史研究家の3人のカーを一人にしようと試みる。その挑戦の背景にはカーの手紙などの個人文書が出てきて整理されアクセスできるようになった事が挙げられている。これによってカーをより総合的に捉え、学問体系自体を見直す意義を山仲博士は明確にしているのである。それは3人のカーを寄せ集めた既存の研究を批判した上で、カーの研究手法と内容の内在的側面と、同時代の政治状況やカーを取り巻く社会的・知的環境といった外在的側面を同時見ることによって「一人のカー」を探す事である、とご自身の研究の理論的課題を明確にする作業を試みている。

巨人カーを研究するにあたって、その先行研究を十分吟味し、問題点を整理し、さらに自分の研究の意味を明確にする作業は、研究活動の土台である。その意味でこの論文が優れている。

同書は、後4章に分けてカーの研究について議論されている。この中でも自分の博士論文で取り上げるべきか検討中の英連邦の動きが取り挙げられているので若干書いておきたい。

第一次世界大戦で崩壊寸前となった大英帝国の枠組みをいかに維持するかを検討するために「チャタム・ハウス」という研究グループが立ち上げられた。ここでのナショナリズム論研究をカーが主導していた事を始めって知って驚愕した。この研究はあまりうまくいかなかった様子であるが、多分カーの著作『ナショナリズムの発展』(”NATIONALISM AND AFTER”, 1945)でまとめられているのではないか、と思う。戦後の世界は、カーが否定したナショナリズムや自決権を逆に促進する方向で進んでしまった事に、当然カーは悲観し悲嘆したはずである。自ら国際関係論を否定したり、研究生活に篭った事は理解できる。なお、このような理解も山中博士がカーの研究内容だけでなく当時の周辺の動向、カーの思考立場、という広範囲な研究がなければ理解できなかったであろう。

もし山中博士が研究生活だけでなく、外交やジャーナリズムと言った「現実の世界」で仕事する機会があったなら、カーの多様性をより簡単に理解できたかもしれない。それでもバラバラにされたカーをここまで一人のカーにまとめ上げようとした山中博士の業績は、私も含めカーを研究素材として応用したり、研究対象とする際の大きな指標である。