やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

待賢門院璋子の生涯―椒庭秘抄

 

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京都岡崎にある無鄰菴で日本史研究家の方と蛍を見る機会があった。

平安時代がご専門だという。そこで生半可な知識をよせばいいのに披露した。

私「西行が侍をやめて詩人、僧侶になったのは待賢門院璋子に恋したからですね。この近くに璋子さんの御願時円勝寺の地名が残っています。」

歴史研究家「え?待賢門院璋子でしたっけ?恋して僧侶になったのは確かですが。。」

勘違いだっただろうか? 昔読んだ本を図書館で借りてきた。

角田文衛著『待賢門院璋子の生涯―椒庭秘抄』。璋子の産後の肥立ちが良いことから、生理が定期的にあったと想定し、崇徳が誰の子供が類推するという力作である。私はこの事実よりもこの検証方法が印象に残っていた。

璋子さんがどんな人生を歩んだかはこの本を読んでいただくとして、私は7歳で白河上皇の養女となった璋子さんを思うと切なくなる。

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肝心の西行と璋子さんの関係。この本の最後の章に「西行の悲歎」というタイトルで触れられている。やはり西行の相手は待賢門院璋子であった。しかも西行は17歳も年下。璋子が亡くなった後、西行は巡歴の旅に出る。

 

身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ