博士論文で扱う自決権。なんとなく全体像が見えてきたのだが、少しずつ書いて行きたいと思う。論文の参考となるような読書メモだ。
まずはなんと言っても国際法学者のアントニオ・カッセーゼ博士の”Self-Determination of Peoples – A Legal Reappraisal “ (1995)である。この本に出会っていなければ2つ目の博論に挑もうとは思わなかったであろう。ある問題を学術的に論じるということは、基盤となる理論が必要であることを一つ目の博論で嫌という程知らされた。私は、働きながら、また幼い娘を育てながらの博論を書いたのでパートタイムで8年。フルであれば4年の歳月。。。
最初の4年は理論枠組を確定することであった。特に研究対象とした情報通信と開発の研究は事実の詳述が中心で理論がないことが、リチャード・ヒークスなどから指摘されていたのだ。開発論を選んだ後もまた一苦労で、幸いにも出会えたのはアマルティア・センであった。
さて、指導教官の坂元教授から突然チャゴス判決を論じなくてどうする、と博論3年目にして言われて、途方にくれていたが、判決文や関連文書を読んでいくうちに「これはカッセーゼ博士の自決権の議論である」ことを直感した。チャゴス関連はまだ10本も文書は読んでいないのだが誰もカッセーゼを引用していない。なぜだろう?単に知らないだけなのだろうか?
カッセーゼ博士の”Self-Determination of Peoples – A Legal Reappraisal “は5章から構成されている。扉の裏には短い文書が寄せられていて、そこには自決権が既存の国家の枠組みを破壊する要素があることも書かれている。
1章目が歴史的背景、2章目は国際法標準となる自決権、3章目は権利として実行される自決権、4章は世界コミュニティに現れる新たな動き、5章目の結論が一般的現状調査、である。
3章目に「特別に論争を呼んでいるいくつかの案件 — 試される国際法」という節で6カ国が取り上げられている。まだ読んでいないのだが、英領にとどまった半島のジブラルタル、太平洋の島嶼国東チモール、紅海に面したエリトリアなど自決権が国際法の議論の中でどのように議論されたのか興味深い。他には西サハラ、ケベック、パレスティナが取り上げられている。
序章にある、カッセーゼ博士の自決権の定義である。
"Self-determination has been one of the most important driving force in the new international community." (p. 1)
同時に
“ .. its ideological origins render it a multifaceted but also an extremely ambiguous concept.” (p. 1) と形容している。(多様なイヂオロギーを背景にしたいい曖昧な概念)
チャゴス判決もBBNJの議論も誰も自決権とは何か、議論していないのだ。カッセーゼ博士の議論は無視されているような気がする。みんな知らないだけなのだろうか?それとも議論するに値しない論文、なのだろうか?