いよいよ博論を書き出すのだが、数年前に読んだ中野進先生の『国際法上の自決権』を再読している。色々なことが身の上に起こって、集中できないのだが、最近弁護士に相談に乗ってもらうことにしたら、少しだけ余裕ができた。知らない間に「字面を追っていた」という現象が少なくなった。
頭に入って来る情報を蓄積し分析し、書き記すためには、情報の整理が重要だ。自決権に関する論文を山ほど読んできて、何が何だかわからなくなっているのは事実だ。
試みとして読書メモを開始する。
第1章 第一節
p. 13
自決権を法的権利として認める説
1945年の国連憲章・1959年代の国連総会決議、1960年代の植民地独立付与宣言・1966年の国際人権規約説
p16
国際司法裁判所はナミビア問題に関する勧告的意見で、連盟規約22条の「神聖な信託」は委任統治地域の人民の自決と独立である、と
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チャゴス諸島ICJの勧告を思い出した。
Legal Consequences of the Separation of the Chagos Archipelago from Mauritius in 1965
自決権に関する箇所の機械訳
最初の質問を検討するに際、裁判所はモーリシャスの脱植民地化のプロセスに適用される自己決定権の性質、内容、範囲に目を向けた。それは、人々の平等な権利と自決の原則を国連の目的の1つとし、憲章には、非自治地域が最終的に自分自身を統治することを可能にする規定が含まれていたことを思い出すことから始まりました。さらに、裁判所は、「決議1514(XV)の採択は、脱植民地化に関する国家慣行の統合における決定的な瞬間を表している」と指摘し、「関連する時点での国家慣行とオピニオ・ジュリスは、自己決定権の帰結として、非自治領土の領土の完全性に対する権利の慣習法の性格を確認する」と指摘した。裁判所は、非自治地域の人々は、その領土全体に関連して自己決定権を行使する権利があり、その完全性は管理国によって尊重されなければならないと考えました。脱植民地化の問題における総会の機能を検討した後、裁判所はまた、モーリシャスの脱植民地化のプロセスに適用される国際法の分析において、裁判所の最初の質問で言及された総会決議に反映された義務を考慮した。裁判所の見解では、「モーリシャスの脱植民地化のプロセスを実施する際の国際的義務を遵守するよう英国に要請することにより、総会は憲章の枠組みの中で、自己決定権の適用を監督するために割り当てられた機能の範囲内で行動した」と述べた。モーリシャス植民地がチャゴス諸島の分離に原則として同意した状況を想起した後、裁判所は、この分遣隊は関係する人々の意志の自由で本物の表現に基づいていないと考えました。国際法の下で生じ、モーリシャスの脱植民地化の過程で総会で採択された決議に反映された義務は、管理国として英国がチャゴス諸島を含むその国の領土保全を尊重する必要があるという見解をとった。裁判所は、「チャゴス諸島の違法な分離と[イギリス領インド洋地域]BIOTとして知られる新しい植民地への編入の結果として、モーリシャスが1968年に独立に加盟したとき、モーリシャスの脱植民地化のプロセスは合法的に完了しなかった」と結論付けた。
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第1章 第二節
国民の自決権 人民とは誰か?
第2章 自決権行使の合法性
各国のケース分析
第一節 植民地独立の場合
第二節 植民地が独立国家又は他の植民地と合併して独立する場合
第三節 植民地分裂の場合
第四節 国民による政府変更の場合
第五節 国家合併の場合
第六節 分離独立の場合
第3章 自決権の主体 p. 121
1960年以前の自決権の主体は植民地の人民に限られていない
1960年 植民地独立付与宣言 第二項 植民地の人民
1966年 国際人権規約共通第一条第3項 全ての人民
1970年 友好関係原則宣言
1974年 侵略の定義における自決権の主体
1975年 ヘルシンキ宣言における自決権の主体は「諸人民」
1977年 1949年ジュネーブ諸条約に対する追加議定書
1981年 アフリカ人権憲章
1983年 国家の財産、公文書及び債務についての国家承継に関するウィーン条約の附属書
第4章 自決権と自衛権
自決権のために武力行使が可能か?それは二重規範になっていないか、という内容。今回のニューカレドニアの暴動に重なる。独立派の武力、というより暴力はどこまで許されるのか?それを批判する声はフランスからしか聞こえない。
第5章 自決権に関する原則及び規則から生ずる義務は強行規範か