明治天皇皇后両陛下は、両陛下の名代でウィーンに行きシュタインから学んできた藤波言忠から33日間講義を受けた。社会王権論も学ばれたのではないだろうか。
同志社大学、阿川尚之先生の米国関連の授業を聴講したら、マルクスの共産主義宣言が最初のテキストで、私がマルクスと言えばシュタイン、と余計なことを言ったために御代がわりの10日間の連休は研究室に篭りシュタインの本を読んでいた。
同志社の図書館にあったシュタインをあるだけ借りた。今一冊だけ手元に残っている。気になっている議論があったのだ。森田勉先生の『ローレンツ・シュタイン研究』。ここに社会王権論という章がある。多分これが明治の日本の天皇制度の立ち位置を決めたのではないだろうか?
だって、明治まで天皇という存在はそれほど市民に知られていなかったのだ。本当は丁寧に文章を引用しておきたいところだが、正論サロンの講演会の大詰めをしているので、ざっとまとめる。
シュタインもマルクス同様、共産主義、社会主義の世の中を望んでいた。しかし革命後の社会の悲惨な様子をフランスなどで目にしていたので、マルクスの暴力と革命の方向とは違う方向を目指した。革命で王や資本家を殺しても、多くの無知蒙昧なプロレタリアトは自ら救済する能力もない。一部の指導者は独裁を始める。それも酷い方法で。
シュタインは資本主義は無くならないと思っていた。その中で下級階層の貧困対策をすることを考えた。今の福祉国家のアイデアを先取りしていたのだ。それを実現したのがビスマルクだ。ただし指導者、政治家、行政管の横暴をどのように対処すべきか?シュタインは憲政から離れた、中立的立場の王権を提案したのである。
これこそ、シュタインが伊藤に、陸奥に教え説いたことである。日本の天皇制を維持せよ、と。さらに新渡戸が日本の天皇制について説いた件である。
「日本は、世界に対して、”尊王主義”は”民主主義”と矛盾しはしないこと、それはプロレタリア問題を処理する力がなくはないこと。国王は社会正義達成のための”天”の器となることができることを証明する公道に就いているのである。」(『日本ーその問題と発展の諸局面』243頁,新渡戸稲造全集第18巻、2001年、教文館)
多分、だが明治以降の天皇制はシュタインの社会王権にかなり影響を受けているのではないか?私の乏しい天皇の歴史を思い返しても天皇がいつも弱者を救っていたとは限らない。(違うかもしれない)憲政と離れた位置でプロレタリアトを救う道を示す。これが明治以降の日本の天皇制、即ちシュタイン博士の社会王権論ではないだろうか?