やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

シュタイン、マルクス・エンゲルスと迎える御代がわり(7)

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瀧井一博著『シュタイン国家学ノート』

 『シュタイン国家学ノート』は睦奥宗光筆記録なのだが、付録にある「日本帝国史および法史の研究」(197-229)というシュタインが書いた短い文章が大変興味深かい。

 シュタインは、遠い異国からひっきりなしに訪れる日本人の学ぶ姿に驚き、敬意を示している。こんな事は歴史上1回しかないと書いている。それはローマ人が自分たちの国制モデルを手に入れるために、ギリシア使節を派遣した事だ。(204-205頁)

 伊藤博文が始めた「シュタイン詣」。シュタインは伊藤の訪問以前から日本に特別な関心を寄せていた。ヨーロッパとは一見異なる日本が、法生活の点において同質である、という見解に到達した、とまで述べている。(199頁)

 ところでシュタインはどんな文献で日本を学んだのか。氏族制、氏族的王権の起源を神武から語っているのだ。そしてヨーロッパと日本の同質性を示そうとしている。(212ー220)この文章が発表されたのが1887年である。その上でヨーロッパが1815年から1848年までに準備し、1848年以降全国でなされた事を、日本は1890年に天皇が憲政を導入することを約束し、新しい行政を樹立するという事を短期の内に、しかもヨーロッパでは大学でする事を、日本は帝国全体で始めている、と指摘している。(222頁)

 最後に日本の個性として5つをあげているが、5つ目が興味深い。日本語の言語と標記が非合理的事この上ない、と。シュタインは伊藤の熱心な招聘にも拘らず日本には来なかったが息子を派遣している。

 「平等」については(6頁)平等なるものなど存在しない、他の何かと同一であるものなど何もない。平等とは原理にすぎず、事実ではない。と喝破している。

 共和制と立憲君主の違いについては次にように語る。シュタインは米国の大統領制をたった4年の利害でしか政治ができない、世界で最も哀れな国家であると厳しい。さらにビスマルクが共和制を衆愚にすぎない、と言ったのはいくばくかの心理があると指摘する。そして世襲の君主は将来にわたる利害を考える事ができ、立憲君主に優れる政体はない、と。(95-96頁)

 

 本書の最後に著者瀧井氏の解説がある。そこに伊藤博文がシュタインの講義を受けた後に書いた「憲法ハ大体ノ事而巳ニ御座候故、左程心力ヲ労スル程ノ事モ無之候」という記述を紹介している。それはシュタインが日本人達に教えたのは憲政の枠組みであって憲法制定にとどまらない、政治構造改革を示したからである。