やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ベルツの日記 読書メモ(4)第5編フランス領インドシナ・韓国へ研究の旅

ベトナムと韓国を訪ねた記録である。

韓国の事は全くわからないが興味深い事が書いてある。

1903年2月8日韓国で面倒な事件が起っており、国王腹心の大臣李容翊はロシアのスパイ。日本はロシアを相手に韓国との外交を行う必要があった。

1903年4月27日の韓国訪問では「全てのヨーロッパ人が異口同音に、朝鮮人を極度に腐敗していると称するを聞くことは、全く情けない。」と書いている。

 

1884年の韓国宮廷革命のことも書かれているが、ベルツは韓国でその時重傷を負った事大党の閔泳翊を手当てしたアレン米国公使と会っている。アレンは伝道医として清国に来たのであった。この事大党が日清戦争以降、ロシアについて抗日勢力となる。ベルツは医学、人類学研究といいながら政治的な動きを、かなり多様な視点から情報収集しているのだ。

そしてベルツは北朝鮮に向かった。

雲山鉱山での調査。60人の白人(アメリカ人)60人の日本人、500人の清国人、5千人の朝鮮人が働いていた、という。広大な土地にアメリカは独自の警察、裁判所をもっていた。朝鮮人は他の場所と違って、苦労して儲けた金を役人に奪い取られるようなことはなく、安心でき、他では見られな裕福さがいたるところにある、と書かれている。

2ヶ月の朝鮮滞在を終え、ベルツは人類学上の調査としては満足したようだ。朝鮮人はお人好しの国民であるが、無気力の宮廷、泥棒のような役人達をみて半ば滅亡状態にある、と。彼らにとって一番良いのが、日本がこの国をそのまま引き受けることではなかろうか、と書いているのだ。日本人は良い影響を与えるだろうが、ロシア人は政治的前衛拠点とみなすだけだ、と。

 

ベルツのような外国人の意見、しかも現地米国人など多角的情報を得た彼の分析は貴重であろう。もしかしたら日本の密使として韓国の様子を調べにきたのかもしれない。日韓併合を伊藤博文に進めた新渡戸はベルツとも知り合いだったのだ。