やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ベルツの日記 読書メモ(6)日露戦争

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また訪ねたい草津。ベルツの日記もゆっくり再読したい。


ベルツの日記、岩波文庫は上下巻に分かれ、下巻は日露戦争を中心にまとめられている。読むつもりはなかったが、読み出したら止まらなくなったし、日本の近代史を学ぶ上でこのベルツの記述は大切なはずなのになぜ誰も議論していないのか不思議に思った。私は歴史学者ではないけれど。

歴史教科書は捨てて、このベルツの日記を教科書にした方が良い。日記なので大変読みやすいし、皇室に近かったベルツは日本の皇室の実態を侍医として暖かい目で見守りながら書いている。今日本の皇室が家族で過ごせるようになった背景にはベルツの努力があったのだ。保守を名乗る人々はそんなことは知らないであろう。

また日本滞在が長かったベルツはあらゆる国の外交官、ビジネマスマンとの接点がありその情報は当時の日本にとっても重要だったはずだ。伊藤博文とも近いベルツは、それらの情報を伊藤に提供していたのではないかと思う。

この日記はベルツのご子息、トク氏が編集したものを菅沼竜太郎氏が訳したものだが、編集に当たってかなり手が加えられたのではないか、と思う。書かれていることだけでもかなりセンシティブな情報のように思う。

付箋を貼った箇所のメモを書いておきたい。なお読んだのは1980年の第2版だ。

100−101ページ 戦争中の食料確保で、もしかしたら日本の缶詰産業、漁業産業の基盤になったのではないか、と思われることが書かれている。政府は主要な漁場に缶詰製造機と技術指導者を派遣し、大量で過剰となった魚を缶詰にした。よって一般の消費に支障を与えなかった。

172ページ 日本支持だった英国の世論が変化した理由が書かれている。英国人通信員が一切戦争の取材を許可してもらえず、大きな不満を持って英国に帰国中反日記事を書いたようだ。なんだか今でもありそうな話である。

178ページ ベルツが開拓したのは草津だけでなく箱根や伊香保の温泉もであった。そしてどこでも「妬みと争いで日を送っている」と書いている。協力一致なんてとんでもない。ベルツが開拓したのは実は温泉療養を通した村の開拓だったのかもしれない。草津は癩病者(本の記述)の治療の地でもあったのだ。

274ページ 戦後は日本ロシア同盟の可能性の人気が高かったという。休戦交渉の際、志賀重昂代議士が日露で世界を分割しようと提案した、とある。そして伊藤公はロシアとの協定に賛成だった。日英同盟は伊藤が不在中に出し抜かれる形で締結された、というのは初めて知った。

280ページ 日本が優位になると日英同盟を強化する世論が出てきた。米英の記者は日本で来客扱い。他方ドイツに親日世論を期待できないことをベルツは嘆いている。