やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

読書メモ『日本帝国と委任統治』等松春夫著

この読書メモは自分のために書いているんだが、結構アクセスがあって少しは世の中に役に立っているのかもしれない。

書くと忘れないし、後で確認する時に検索できて楽なんだ。

さて、ハウスホーファーの「太平洋地政学」に戻ると宣言しておきながら、立作太郎、矢内原、蝋山が議論した、連盟脱退後の南洋委任統治問題を読んで『日本帝国と委任統治』(等松春夫著、名古屋大学出版会、2011年)を思い出した。

南洋委任統治問題を扱う等松春夫氏の博士論文だ。

第3章にまとめられている脱退後の南洋統治の章に続いて第4章では「南洋群島と独逸植民地回復問題1933ー1939」が議論されている。

ここでハウスホーファーの「太平洋地政学」とつながるのだ。

ドイツが、ナチスが、オランダとフランスを占領し、英国も手に落ちる寸前だったころ、仏和蘭英の太平洋植民地はドイツの手になる可能性が高かった。そして旧独領のサモア、北ニューギニアを取り戻す事をヒトラーは訴えていた。

その背景にあるのがハウスホーファーの「太平洋地政学」。とここまでは等松博士の本では書いていないのだが、等松博士の本の引用文献にある。

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B04122006900、国際連盟委任統治問題一件/独逸ノ植民地回復要求関係 第二巻(B-9-6-0-1_4_002)(外務省外交史料館)」

この外交記録はウェブサイトでアクセスでき、全部で80頁ほど。立作太郎先生の論文も入っている。当時の外務省はヒトラーのマインカンフとハウスホーファーの関係を認識していた。

ともあれ、日本が軍事的南進を開始した背景には、ハウスホーファーの「太平洋地政学」の影響を受けたナチスの植民地回復の動きがあった。それに対し、日本は共通の敵「英米」を掲げドイツに近付き交渉が続いた。

日本はミクロネシア南洋群島を守ろう、そしてさらに資源獲得のために和蘭領パプア、豪州のニューギニアソロモン諸島(ここら辺はしっかり読んでいません)に手を伸ばそうとしたのだ。

急いで読んだので間違っているかもしれません