やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて30年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

矢内原忠雄「南洋委任統治論」 1933.6中央公論(1)

私が新渡戸、後藤の植民政策まで辿り着いたのは南洋群島研究を書かれた矢内原忠雄の存在がある。取っ付きづらい文章と、私が「植民=悪」と思い込んでいた20代30代、矢内原の資料を読む気は湧かなかった。興味を持ったのは40を過ぎてからだ。この矢内原が単に南洋研究者としてではなく、植民政策、開発問題、国際政治、外交を議論している。軍閥を批判した師匠の新渡戸が命を狙われた事に続くように、軍閥の大陸侵略を批判し東大を追われた。

日本が間違った道をどこで取ったのか?を理解するには彼の政策を、理論を、理解する事が必要だと考えるようになり読み進める内にさらにその思いは強くなった。

その中でも重要なのが1933年6月に出された「南洋委任統治論」ではないか。日本の連盟脱退が決まった後に南洋委任統治領をどうすべきか、即ち旧独領をどうすべきか、という世界的な課題を、国際法学者の立作太郎教授と、国際政治学者の蠟山政道教授の論文を参考にしながら自身の議論を展開している。

この南洋地域をどうするかが、日本が「解放か侵略」混乱した戦争に進む岐路だったのではないか、と私は考えている。侵略的南進を導いたのが蠟山政道で、この論文で矢内原は感情的に批判している。それほどひどい蠟山の「南進政策」なのだ。

「南洋委任統治論」5節に分かれているがじっくり読みたい。で、ここにメモしていきます。

 

委任統治は植民制度の一つであるが、受任国の領土ではない、というのが矢内原の解釈である。それを委任統治制度の沿革を説明しながら詳述している。

ウィルソンの非併合主義が最初は欧州内に限られ、ドイツの植民地は連合国間で分配するという理解であった。

連盟を提案したスマッツも英日仏も併合を意図しており、ウィルソンの非併合主義の妥協として委任統治制度、となったことは周知の事実。(ウィルソンの非併合主義の背景を要確認)

よって委任統治制度ができた以上は受任国の領土との解釈はできないが、植民地の定義は狭義の属領に限らず、保護国、租借地も含まれる。また独立国であっても帝国主義の独占資本の政治的・経済的支配の拡張であればこれを植民とみなす。

要点は法律学的意味において一国の領土であるかどうかよりも、その地域に対する一国の政治的・経済的支配の程度による。その支配が強ければ実質植民地であり、支配が部分的であれば半植民地の状態である。

よって委任統治は受任国の領土ではないが植民地に含まれるという解釈は不当ではない。

<感想> 中国は矢内原のこの解釈を読んでいるのではないだろうか?「植民」という言葉を使わないが独立国を支配していくことで実質植民地化を合法的に進めているのだ。一体だれが「植民」が悪い事だと言い出したのだろう?それは多分レーニンであり、非併合を唱えたウィルソンである。

 

委任統治制度の重点はどこの領土であるかでもなく、植民制度であるかどうかでもない。

連盟規約22条の要点は植民の獲得にあるのではなく植民統治の問題、方法にある。

第一に受任国が「連盟に代り」と規約にあるがそれは法律的議論ではなく「道徳的」意味である。ここで矢内原は「天に代りて不義を討つ」を引用しそれは天地行動の正義で、法的問題ではない、如何なる精神的施政を行うべきか、である。そこには連盟の国際主義である、国際的監視も存在する。

第二に 委任統治地域に陸海軍根拠地の建設を禁止しているのは帝国主義の軍事攻防として海外植民地獲得による戦争激化の予防である。(ここを日本人は、日本軍は一切無視したのか)

第三に c 式委任は日本が通商貿易の機会均等を主張したがリ英国自治領(豪州ニュージーランド)が強固に反対。これは帝国主義の排他独占的支配政策を批判し人口の自由な移動に委任統治地を解放する意味がある。

第四に統治領先住民の自立支援を連盟規約22条は明言し、国家間デモクラシーを含んでいる。これは国際条約の制度化したものであり委任統治制度の国際主義的特色である。

<感想>この矢内原の委任統治の解釈、理解を英語で広めたいところだ。委任統治制度は戦後の信託統治につながり、脱植民地化の中の自由連合という制度に落ちついたと私は理解している。即ちニューカレドニアの問題だ。独立するかどうか以前よりもどのような政治形態を維持するか、ではなかろうか?

 

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