ジョアン一世とエンリケ王子
拙著『インド太平洋開拓史』第2章では、西洋の植民を取り上げた。
パプアニューギニアの国境線が南北に直線に引かれている背景を書こう、と思った。
それはトリデシャス条約なのだが、そしてスパイス諸島をめぐるスペインとポルトガルの争いなのだが、根拠となる資料を読んでいくとモルッカ諸島、特にティドレのサルタンの話が非常の面白く数日没頭してしまった。
まさに、植民される側が植民者を巧みに利用し、虐殺し、操作していく植民史だ。
さらなる詳細を知りたく、関係図書をチェックだけした。その一つが
生田滋著『大航海時代とモルッカ諸島』
非常に詳細なモルッカ諸島の様子が描かれている。登場人物が多すぎて、誰が誰だかわからないのだが今日読んだ
「第2章マルコの島々」 にああやっぱりと思う箇所があった。
「彼らは強壮であるが、容貌が良いというわけではなく、陰鬱で、憂鬱で、粗野で、活発で、抜け目なく、大胆で、陽気で、好戦的ではあるが、喧嘩早いというわけではない」
「彼らは陰謀を好み、悪意に富み、信用できず、恩知らずである。」
そして人食いも行われていたことが書かれている。
この本の序章には植民される側の敗者の視点の分析として、ポルトガル、スペイン人の植民をたくましく吸収し生き延びた、大航海時代の再評価の試みである、という。
序章の「トルデシャス条約とポルトガル、スペインの海外進出」にはポルトガルがヨーロッパで最初の国民国家となった事も書かれている。これは知らなかった。民衆が独立を求めたのだ。その声に応えたのがエンリケ王子の父親ジョアン1世でアヴィス王朝を立てた。
では三章に移りたい。