やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

カール・シュミット『陸と海と 世界史的一考察』(2)

まずシュミットは人間は陸を踏み歩む動物であり、その大地こそ本質的人間のエレメントであると定義する。興味深いのはポリネシア航海者を引用し「かれらには、大地から獲得されたわれわれの空間と時間についての観念は無縁であり、理解しえぬもの」(p. 12)と「われわれ」とポリネネシア航海者を分けている事だ。しかし、その大地というエレメントに人間、(即ちシュミット言う「われわれ」である欧州人の事だと思うが)は縛られず、選択する自由、どこへでも好きなところに出発する自由がる、と主張する。(p. 16)

 

そして世界史が(ヨーロッパ史のことだと思うが)陸と海の戦いの歴史であることを、古代ギリシアのクレタ島、カルタゴの戦いとローマ帝国の誕生、ヴァイキング等の制海権争奪、そして十字軍によって誕生したヴェネチアの海洋支配を紹介している。

しかしヴェネチアの海洋支配は1797年の滅亡に至まで内海を超えるものではなかった。大洋に進出したのは、まずはオランダ人であった。そしてその具体的担い手は捕鯨者であり、彼等が地球を発見したのである。

 

この後、英国が海洋帝国になる過程が展開する。

フランスのラ・ロシェルにいたユグノーの海賊はカナダを獲得し、フランスを先に海洋帝国としたが、シュミットは書いていないがナントの勅令(1685年)でユグノー達は主にハンブルグへ移動した。そして海洋支配が遅れた英国がアメリカへの航海を開始するのである。

シュミットはこのハンブルグのユグノーの事も書いていないし、その末裔で、ビスマルクが南洋に乗り出すきっかけともなった「南洋の王」ゴーデフロイ家の事も触れていない。ドイツのことにも拘らず。

 

16,17世紀、スペインと英国間の世界的抗争に海賊は利用された。そして両国の戦いはプロテスタントとカトリックという宗教上の対立という「神意」が持ち出されたのである。宗教対立は海洋利権対立を背景としていたということであろうか?

英国を海洋帝国へと導いたエリザベス女王のシュミットによる描写を引用したい。シュミットの英国観にもつながるのかもしれない。

 

「今やすべての海からイギリスの海賊が獲得したおびただしい戦利品がイギリス本国へ流れ込んできた。女王はこれを歓び、それによって豊になった。彼女がこの点において無垢の心をもって行ったことは、その時代のイギリスの多くの貴族や市民、イギリスの一般男女も行ったことと変わりなかった。」(p. 52-53)

 

その例として当時の英国のエリート、キリグルー家の残虐性が描写される。今に続く英国の紳士淑女の集団である貴族社会があるのであろう。英国のクロムウェルがジャマイカを占領した時、英国はヨーロッパ諸民族が切り開いた植民地すべての相続人となった。ドイツやオランダが国内の問題に手を焼いている内に、英国は新たな空間、海のエレメントを発見、獲得したのである。

 

シュミットは、歴史上のアレキサンダー大王の遠征、ローマ帝国、十字軍のヨーロッパへの影響という3つの例を出して。これを「空間革命」という概念で説明しようとする。

 

後半は明日。

 

ところで、

シュミットはポルトガルとスペインが海洋に乗り出した詳細を論じていない。

私は、欧州が世界を植民地化した背景を知りたくて以前『エンリケ航海王子』を読んでブログに書いたことがある。現在の欧州人はローマ人が残した公衆風呂、即ち衛生観念を棄てたがために、ペストが蔓延し、エンリケ航海王子は外に資源を求めるしかなかった。背景には十字軍に追われたユダヤやイスラムの知性と資金がポルトガルが受け入れていたこともある。