やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『戦国日本と大航海時代  ―秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新著  

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ルシオ・デ・ソウザ著『大航海時代の日本人奴隷』 が大変面白く、平川新著『戦国日本と大航海時代』を読もうかどうか迷ったが、この2冊を一緒に読む事を強くオススメしたい。

平川氏はなぜ秀吉が朝鮮に出兵したのかを、当時のポルトガルとスペインの世界制覇の動きを詳細に追いながら新説を展開していく。秀吉は狂ったのではない。第一次資料を丹念読み込むソウザ氏との執筆姿勢とかなり違い、時々思い込みすぎ?と疑問に思う箇所もあったが、新書で一般人にわかりやすく書くのだから、重箱の隅をつつくような詳細な記述は不要なのかもしれない。

拙著『インド太平洋開拓史』でも扱ったトルデシリャス条約のことがかなり力を入れて詳細に書かれている。平川氏も誤解しているのではないだろうか?

当時、地球が丸いことは西洋では常識であったのだ。よって大西洋にポルトガル領とスペイン領に地球を分割する線が引かれた時、同時に太平洋にも引かれていたのだ。しかし太平洋の地理的情報が皆無だったのである。

コロンブスはジパングを探しに旅立ち、西インド諸島がジパングであると勘違いする。さらに中国は現在のハワイ辺りと考えられていた。だからトルデシリャス線のスペイン側にジパング、日本があるはずだったのだ。その後、両国はジパングではなく、香辛料を巡ってモルッカ諸島で領有権を争うが、当時の情勢も反映し、ポルトガルに有利な線で合意される。本来ならポルトガル側のフィリピン、グアムはスペイン領となったがポルトガルが文句を言う事はなかった。

このあたりの詳細はO. H. K. Spateの”The Spanish Lake”が詳しい。

 

なぜ秀吉が朝鮮に出兵したのか? これをここに書くとネタバレになるので書かないが、インド太平洋構想に関連し、アジア主義の文献を読んでいる中で、秀吉朝鮮出兵にその原点があるという説があった。まさか、と思ったがまさかではなかったのだ。

日本人は奴隷として、傭兵として、インド太平洋に拡散していたのだ。秀吉の頭にはインド太平洋を含む世界地図が、大航海時代の国際政治戦略が構築されていた。