やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

「日本帝国と委任統治」等松春夫著

 

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ドイツ領ニューギニア

拙著『インド太平洋開拓史』は100ページの限られた紙幅に詰め込みすぎた反省がある。

太平洋といえば第一次世界大戦と第二次世界大戦の舞台であった。第一次世界大戦は平間洋一先生のご研究をご紹介することで、日本を「火事場泥棒」と根も葉もなく批判する言論に多少は応える事ができたと思っている。

第二次世界大戦は思い切って外そうと思ったが、現在進行中の中国のメラネシア諸国への進出が、第二次世界大戦の日本軍と重ねて語られる事に、若干の、いやかなりの抵抗があったので、三輪公忠氏の短い論考だけ紹介した。

それは、日独伊同盟はドイツがインド太平洋に来ることを避けるために締結したという仮説である。しかしこれは仮説ではなく史実である。これを議論しているのが等松春夫著「日本帝国と委任統治」で、ここまでは書けなかった。というかこれに取り組むと既に制限を超えていた原稿に収まりきらないのである。

 

この件は今年、2020年9月にドイツがインド太平洋政策を発表した事に若干繋がっていく。第一次世界大戦で太平洋からドイツを追い出したのは日本である。そしてベルサイユ会議でも、ワイマール共和国の下でも、植民地返還は敗戦国ドイツの強い念願であり、そこだけは譲らなかった。これがナチス政権になってさらに強く打ち出される。100万人の会員を抱える植民協会もドイツにあった。

 

等松論文ではヒトラーは南洋に興味を示していなかったが、日本が過剰に反応した状況が書かれている。またナチス政府はそのような日本や英仏、豪などの反応を巧みに利用し、国際政治を動かしていった事も書かれている。豪州では日本が南洋群島から出て行きドイツに来て欲しいという意見もあった。

 

ここは田岡良一先生の委任統治の論文をさらに読み進めたいが、日本の連盟離脱、連盟の崩壊そしてナチスの台頭によって委任統治領の扱いが国際社会の主要議論になっていたのである。日本はもちろん当時8万人はいた(主に沖縄や奄美、そして韓国から)日本移民を抱える南洋統治領を守らなければならなかったし、委任統治領下では禁止されていた軍事施設建設を南洋群島で可能にし、軍事能力の強化をしたかった。そもそも南洋侵攻・占領を進めた秋山真之は軍事拠点の確保が目的であったのだ。

 

そこで松岡外相、および海軍は取った解釈が、旧独領であった委任統治領はドイツに戻り、ドイツ主権となるという説である。これは委任統治をめぐる国際法解釈の中ではドイツ人学者のみが主張する少数意見であった。(田岡論文参照)すなわち、欧州が崩壊し連盟が機能せずベルサイユ条約も効力を失効したとの解釈の下、旧独領はドイツに主権が戻るという解釈(多分。ここは難しい。田岡論文を再読したい)によって、一度南洋群島をドイツに返還したのちに何某かの代償を払って日本の領土(委任統治領ではなく)として合併するという秘密協定が、日独伊三国同盟の背景で協議されたのである。ここも複雑な史実があって、ドイツの在日外交使節の単独行動で母国は知らされていなかった、とか。とにかく日本軍を太平洋に出させて米軍をおびき寄せ、欧州から米国を引き離しておきたかった、とかの議論が展開される。

 

この解釈によれば、他の委任統治だったナウル(豪英NZ)、ニューギニア(豪)、サモア(NZ)もドイツに主権が戻ったことになり、日本はそれを譲渡されるという前提で占領をしたはず、である。ここら辺はなんら資料を確認しておらず、想像の範囲。しかし1942年の初めには柳田國男がオランダ領パプアを第二の日本にしよう、などと公言していたのであるから、植民を前提とした占領であった可能性は大きい。また矢内原忠雄宅に軍部が訪ねてきて植民とは何か全く理解していなかったことに矢内原が戦慄を覚え、急遽新渡戸の植民政策論の本を出したことからも、占領ー>植民という計画であったことは想像できる。

 

であれば、英領ソロモン諸島のガダルカナルに空港を作った理由が軍事的な米豪分断であることは理解できるが、旧独領のニューギニア、ブーゲンビル(委任統治領ではないが旧独領)、ナウル、の占領は領土拡大と植民、そして日本委任統治領であった南洋群島の保護を目的に行われた、という見方はできないであろうか?というかそのような論文を私は読んだ事がない。軍事拠点だけ作ってどのような意味があるのであろうか?

 

等松論文を読んでいて気になったのは、日本の軍事進出は批判的に議論されている点だ。委任統治領以外は軍事基地化は問題なかったのである。すなわち米領のハワイ、グアム、フィリピンでは軍事施設が増強されていたし、ニューギニア南部の豪州領、英領のフィジー等でも軍事施設増強は可能であった。実際、英仏共同統治のバヌアツ、サント島、仏領ニューカレドニは日本の何百倍もの軍備が増強された。

 

中国のメラネシア進出と日本のそれはどこが違うのか?

日本はドイツと同盟することで、太平洋の旧独領の主権を確保し、ナチスドイツ をインド太平洋から遠ざけようとしたのである。

今回発表されたドイツのインド太平洋政策、日本はドイツとどのような協力関係を結べるであろう?確かに日本が追い出したのだが、日本の南洋統治はドイツの植民政策を引き継いだものであった。