やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ミクロネシア(5)森・ナカムラが動いて宮島・土屋が潰したIT計画

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第2回島ミットのフォローアップとしてフィジーで開催されたICT会議。森総理と筆者。右にいらっしゃるのは当方の恩師にしてミクロネシア地域協力枠組みを共に支援してきた渡辺昭夫教授です。


2000年のG8サミットの目玉事業となった150億米ドルの情報通信支援。特に途上国のデジタルディバイドが主要テーマであった。

2000年、既にミクロネシア地域を結ぶ衛星ネットワークの案がハワイ大学を中心に策定されていた。そこで、第二回島サミットのフォローアップとして開催したフィジーでの国際会議に共同議長であった森総理とナカムラ大統領に参加していただいた。この会議は当時JETROにいた鷲尾友春氏が森総理を動かしたのだ。ナカムラ大統領を動かしたのは私である。

鷲尾氏はオールジャパンでやろう、とJICA-JETRO共済とした。驚いたのは当時の大洋州課課長宮島昭夫氏だ。外務省の中で島嶼国問題はマイナーで、首相が動くと言うことはありえなかった。しかも私が手配したナカムラ大統領の飛行機は森総理と同じで、二人は席が隣同士になったのだという。

USPNetの時もそうであったが、開発問題、情報通信、そして島嶼国経済を全く理解しない外務省に申請案を出しても潰されるだけだ。ナカムラ大統領に直接森総理に要請してもらった。

ボールは外務省に投げられた。翌年だったか、JICAの評価作業が行われた。宮島昭夫が潰したのである。ヤップやパラオ等で教育を受けても働き先がない、病気になったらフィリピンなどに行けばよい。高額な通信は小さな島に必要ない。これを支持するような非人道的論文書いた学者がいる。慶應大学の土屋大洋だ。この時腑が煮えくり返った記憶は今でもはっきり覚えている。

2002年の第二回ミクロネシア大統領サミットでICTが議案に挙げられたのはこの事である。しかし私は諦めなかった。実はインフラ支援と同時に、もしくはその前提として、通信制度改革、規制緩和が必要なのだ。これを支援する事とした。独占で運営されてきたNTT解体のような大きな話である。実は太平洋諸島フォーラムも当時ICT政策改革案を策定していた。しかしそれを各国に持ち帰って旧宗主国電気通信業者が運営する、即ち既得権益の強い制度改革はほぼ不可能な話だった。

しかしミクロネシア地域協力枠組の中で、ミクロネシア連邦のフランシス・イティマイ運輸通信大臣が中心となって進めたのである。パラオ、マーシャル諸島も独自の動きを見せていた。これもハワイ大学と協力して支援させていただいた。同時に、米軍、アジア開発銀行、世界銀行が海底通信ケーブル敷設の計画も進んでいた。北朝鮮の弾道ミサイル対策である。

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2001年頃。ハワイのPEACESAT主催の会議に外務省の宮島課長(左から4人目)もお招きし、情報通信・島嶼国問題を理解してもらいたかったが無駄であった。でもミクロネシアのリーダー達も私も諦めなかった。

左から筆者、電気通信大学田中正智教授、小菅敏夫教授、宮島昭夫、?、ミクロネシアカレッジ学長?、ハワイ大学ノーマン・オカムラ教授、?、ハワイ大学クリスティーナ・ヒガ