世界の民族の数を知らずに1919年のベルサイユ会議で「民族の自決」を訴えたウッドロー•ウィルソン大統領の功罪を改めて目の当たりにしたような気持ちだった。
日本外務省が書いた、牧野外務大臣政務官のスピーチは秀逸だったと思う。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000050667.pdf
会議開催中はずーっとこの音楽が頭の中で流れていた。
♪青い青い空だよ 雲のない空だよ サモアの島 常夏だよ♪
♪一緒に並んで 愉快に踊れば 僕らの島 楽しい島よ。♪
会議最終日、高熱、悪寒、冷汗、体の痛みでダウンしてしまった。
空港行きのバスを滞在先アギーグレイの玄関でボーッと待っていた時だった。
寄りかかっていた壁にPACOMのティモシー•キーティング司令官の書簡を見つけた。
まさか、こんなところでお目にかかれるとは。2008年3月6日付けの書簡。2008年と言えば当方の、笹川太平洋島嶼国基金の、海洋事業開始年である。
以前書いたが、キーティング司令官が2008年8月にパラオ政府団に「この広い太平洋を守るには日本が必要だが、その日本の手足を縛ったのは我々米国である。」と語っていなければ、日本財団、笹川平和財団が現在進めているミクロネシア海上保安事業は立ち上がっていなかった。
この会談の数時間後に私が羽生会長の命を受けてパラオ政府とロビーイングを始めたのである。
http://blog.canpan.info/yashinomi/archive/385
♪ 青い青い海だよ 海また海だよ サモアの島 常夏だよ ♪
キーティング司令官、サモアでも太平洋の広さを実感されていた事と思う。