クリストファー・ヒル国務次官補 2009年3月にイラク大使に
ヒルの後にきたのがキャンベル国務次官補で、米国の太平洋ピボットが開始された。その勢いに日本の関与も押された。
2008年に立ち上げたミクロネシア海上保安事業は本当に私一人で行ったので、その詳細を知るのは私と、進捗を報告していた当時の笹川平和財団の羽生次郎氏しかいない。羽生さんは2016年秋、突然、本当に突然財団から去ったのである。水産資源保護に関するおかしな事業を開始したことが原因と聞いている。私には「水産庁のなんとか(元次長・宮原正典氏の事である)と仲のいい君は入れなからね。日本財団が何10億円もくれることになったんだよ。羨ましいだろう。」と同年の春頃話された。ああ、これが日本の官僚の、東大卒の姿である。嘆かわしい。そしてまた尻拭いをさせられるのでは?と羨ましいというより心配だった。
この事業が頓挫したのだ。運輸省でも航空問題が専門だった羽生氏は海洋も水産の事も何も知らない。声をかけられた専門家たちは突然羽生氏が消えて途方にくれたらしい。
とにかくミクロネシア海洋安全保障事業のことを知る羽生さんはいなくなったのだ。私が書くしかないし、現場で動いていた私の方が知っているのだ。
記憶が蘇ってきた。13年前の話になってしまう。豪州政府の反応を書く前に米国政府の反応を書いておきたい。
2008年11月、ミクロネシア連邦で開催された第8回ミクロネシア大統領サミットで、日本の支援が要請された。しかし繰り返すがミクロネシア3カ国は、米国と自由連合協定を締結し、安全保障は米国の傘下にある。事業を円滑に進めるためにも米国の了解が必要だ。
サミット会議終了後、事務局と協議をし、最終議事録の調整をすることとなった。一番微妙で神経を使う作業だ。相手は米国人の法律家である。
「今回の成果を心から感謝したい。ところで米国政府がミクロネシア3カ国の大統領が日本に海洋安全保障に関して協力要請したことを了解するでしょうか?」
「主権国家の決定だよ」
「それは十分わかっていますが、安全保障は米国の管理と理解しています。米国に本件を伝えなくていいのでしょうか?」
その時その弁護士が私の顔をキッとみて不機嫌そうに、そして意地悪そうに答えた瞬間を覚えている。
「わかった! ではミクロネシア3カ国の大統領から米国政府に手紙を出しておこう!」
大統領たちから?私は驚きのあまり言葉を失ったと同時に心の中で「よし!」とも思った。その後事務局で打ち上げを行い彼からジントニックを奢ってもらった記憶がある。
ミクロネシア3カ国の大統領から米国国務省に手紙は出されたのである。
小国が大国を動かす瞬間なのだ。無視されるケースもあるが、こうやって動くこともあるのだ。返事が、1月後位に当時のクリストファー・ヒル国務次官補から羽生次郎会長宛てに来たのである。羽生氏には、また私が動いたと知ると東大出高級官僚のプライドを傷つけるだろうから
「なんか、大統領たちから米国政府に手紙を出すとかなんとか言っていましたよ」
とは伝えておいた。私が提案したことは言わずに。それに本当にミクロネシア大統領からレターが出されるかわからなかったのだ。
外務省であればこういうレターは公文書として記録されているであろうが、どこかに消えてしまったであろう。ヒル国務次官補は嫌味たっぷりの内容を送ってきた。
「日本が海洋監視活動?この前日本漁船○○が捕まったばかりだね。まあ頑張ってね。」
そんな内容だった。
私は頭にきたのだが、羽生氏と同席した国交省幹部は感激していた。これが日本男児か、となさけなく思った。
兎にも角にもこの瞬間、日本が米国のお膝元であるミクロネシア3カ国で海洋安全保障事業を支援するお墨付きをいただいたのである。
しかし、豪州がだまっていなかった。結果、豪州の海洋安全保障政策を180度転換させることなった。