やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ミクロネシア(7)- 5 ミクロネシア海洋安全保障事業

2008年、私が一人で立ち上げたミクロネシア海保事業。

海洋音痴、太平洋音痴の羽入次郎氏もミクロネシアが米国の安全保障上重要な地域である認識はあった。私と渡辺昭夫教授が豪州にも話を通した方がよい、とアドバイスしたところ、豪州はどうでもよい、と跳ね除けたのである。秋山昌廣氏のアドバイスだと言う。私は日本国内の豪州理解のレベルの低さに驚いた。

豪州はミクロネシア3カ国にもしっかりPPBP- Pacific Patrol Boat Progarmm の一環で監視艇を供与しているのだ。ミクロネシア各国に王立海軍も数名派遣していた。南太平洋だけではなく、北太平洋も自分たちの縄張りとの意識が、ある意味米国より強かったのだ。

下記の通りミクロネシア連邦には3隻、マーシャル諸島とパラオには1隻ずつ供与している。なおこの情報は古い。 パラオにはRemeliik IIが供与されたばかりだ。

youtu.be

(Federated States of Micronesia) 

Date of provided / End of boat life / Name of Boat

Mar-1990 / 2020 / “Palikir”

Nov-1990 / 2020 / “Micronesia”

May-1997 / 2027 / “Independence”

 

(Republic of Marshall Islands)

Jun-1991 / 2021 / “Lomor”

 

(Republic of Palau)

May-1996 / 2026 / “Pres. Remeliik”

 

日本がミクロネシア海洋保護に動くことを知った豪州政府の反応は凄かった。一気に潰しにかかったのだ。SPCの海洋担当者(豪州人だったはず)の感情的に反感を現したメールをシェアしてくれる太平洋の友人がいた。

 

在ミクロネシア連邦豪州大使からの言葉はまだ記憶に残っている。2008年頃の女性大使なので探せば名前は出てくるであろう。

(追記 Susan Coxさんでした)f:id:yashinominews:20210502182644j:plain

「日本が海洋監視支援?何を言っているの?ああ、日本漁船を取締るためにミクロネシアの法執行機関に日本語を教えるのがいいわ」

日本漁船はそんなに評判が悪いのか、とその時思った。しばらく学んでわかったのが、豪州の反日態度、水産に対する無知の現れだ。

 

そしてタイミングがあまりにもすごかった。

豪州は一向に改善されない太平洋島嶼国の海洋法執行支援を検討していた最中で豪州王立海軍は「お魚を追いかけるのは海軍の業務ではないので止めたい」という文書を政府に出していたのだ。

そこに日本が参入してくる。反日のラッド政権の豪州政府の反応は半端ではなかった。中止も範疇にあったPPBPは継続される事が一気に合意されたのである。

 

PACIFIC PATROL BOAT REPLACEMENT PROGRAM

60. Leaders noted Australia’s commitment to continued assistance to Pacific Island countries through the Pacific Patrol Boat Program. Australia signalled its intention to undertake an assessment of a new maritime security program to replace the current program at the end of its life, in consultation with Pacific Island countries.

61. Leaders also welcomed New Zealand’s continuing contribution to maritime surveillance in the region.

http://www.forumsec.org/wp-content/uploads/2017/11/2009-Forum-Communique_-Cairns_-Australia-5-6-Aug.pdf

 

問題はその状況を日本側、特に英語ができない国交省と海保が理解できないことであった。

ある席で、豪州海軍から

「われわれは日本の参入には強いレザベーションがある」との発言が。ドキっとした。テーブルには日本の海保、国交省がいた。後日報告書が回ってきた。

「豪州は予約を示した」と書いてあった。

この時海保の英語力の限界を知って頭が真っ白になった。

 

豪州側も外務省と国防省が一切足並みが揃っていなかった。

ASPIという豪州シンクタンクのベルギン博士とベイトマン博士が提案した海洋コーディネーションセンター設置案を、ある席で豪州外務省が述べた。それは述べただけであったはずだが、英語ができない海保が勘違いして日本の支援の可能性と理解したのだ。ベルギン博士とはツーカーの仲であったので、勘違いのまま進めますと相談した。豪州政府はベルギン博士のこの提案を当初無視していたのだ。これが現在のPalau Maritime Operations Centerである。

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私の豪州、キャンベラ通いはこのような豪州の強い反発をきっかけに始まった。

違法操業取締りは軍の仕事ではない、と海軍が突き放して、国境警備隊にその役割を譲る方向で豪州政府は動いていた。一度その担当者と会議を持った時、その会議の情報を得た外務省職員が入ってきて、3−4時間近く協議をした事があった。日本からきた私のための会議であったはずが、いつの間にか私は蚊帳の外で、ずいぶん珍しい、そして貴重な光景を観察する事ができたのである。

外務省と国防はどの国でも仲が悪いことをこの時知った。

 

繰り返すが日本側も何もわかっていないのだ。私は当時Senate Standing Committees on Foreign Affairs Defence and Tradeの委員長であった Russell Trood博士に連絡し、日米豪で海洋安全保障研究会をやりたいと声をかけて了解を得た。この研究会はしばらく続いた。日米豪の協力の下にミクロネシア海洋安全保障が行われる基盤となったのである。

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10年前は現在の日豪関係からは到底想像もできない状況だったのだ。豪州のパラノイア的反応、もう一回書きたい。