やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて30年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ソロモン諸島暴動(11) 日本軍の罪・ホニアラ空港建設

戦争中、もしくは植民地時代に作ったインフラがその地域の民族問題を一切無視し、現在に続く民族闘争や安全保障問題となっている例は世界中にあるのだろう。太平洋島嶼国で言えば、パラオのコロール州がそうだし、インドネシアが西パプアを手放したくない一番の理由と言われているビアク島もそうだ。コロール州は英国商船が難破し救出された際に武器を得た地元民が力をつけ、ドイツ、日本時代と商業・行政中心地となった。歴史的には国会議事堂のあるマルキョクが勢力を持っていた。だから憲法にわざわざ首都はマルキョクとすると書かれたのだ。ビアクは日本軍が不可能と言われていた湿地にすごい勢いで滑走路を作った。現在はロシアとインドネシアの宇宙開発基地となっている。

ソロモン諸島の近代史を知ると、現在の民族闘争の要因は、日本軍がホニアラに空港を作った事にあると気が付いてしまうのだが、それをニュージーランドのマイケル・フィールド記者が書いていたので、部分的に紹介したい。当時日本軍基地のあったラバウルと連合軍基地のあった現パバヌアツのサント島のちょうど中間地点がガダルカナル島で日本軍はその島のホニアラに空港を建設。米軍がその後、マライタ人を連れてきてホニアラを基地とし、今の首都になったのだ。よってホニアラはマライタ人が多く住む町であり、ガダルカナル島での民族紛争の発火点だ。大きな暴動は2000年と2006年にも発生している。長い文章だが現場の状況がよくわかる内容。殺害して首を晒す、というような事もされている。憎しみが止まるところがないのであろう。

当時の戦域におけるガダルカナルの戦略的な重要性はこの論文の「はじめに」に集約されている。

ガダルカナル島をめぐる攻防 ―戦力の集中という視点から―  齋藤 達志

http://www.nids.mod.go.jp/event/proceedings/forum/pdf/2013/07.pdf

Solomon Islands - from world war to local tensions

michaelf27.substack.com

 

第二次世界大戦の開始時、東京がこの地に滑走路を建設することを決定したことが、独立国家の運命を決定づけた。ガダルカナルの戦いは銅像や映画で不朽の名作となったが、「長い死」と呼ばれた人々は忘れ去られていた。

Tokyo’s decision at the start of World War Two to build an airstrip there determined the fate of the independent state. The Battle of Guadalcanal was immortalised in statutes and movies but forgotten were the people who called it the ‘Long Death’. 

 

一見、取るに足らない戦争の出来事として、アメリカはガダルカナル島の現在のホニアラに基地を建設することを決定した。彼らはそのために地元の人々から土地を奪った。さらに、マライタ島の人たちを雇って、状況を悪化させました。慎重に設計された部族国家の中に、アメリカ人は自分たちが占領した土地の人々とは全く異なる人々の飛び地を導入したのである。

One seemingly inconsequential event of the war was the American decision to build a base at what is now Honiara on Guadalcanal. They took land from the locals to do it. They then compounded the situation by getting people from the island of Malaita to work for them. In the carefully designed tribal state, the Americans had introduced an enclave of people very different from those whose land they occupied.

 

(ここは今回の暴動と関係ないが、非常に興味深いの記録しておきたい)

腐敗したソロモン・ママロニを筆頭に、リーダーシップが災いしていたのです。私のキャリアの初期に、彼がオーストラリアへの脅迫のためにリビアとソ連に行ったというニュースをセキュリティ関係者から聞いて、彼について書いたことがある。パプアニューギニアで開催されたパシフィック・フォーラムでは、私と同僚がリーダーのディナーに乱入しました。彼女の美しさのおかげで、私たちはオーストラリアのゴードン・ビルニー太平洋担当大臣と同席することになったのです。彼は、ママロニの原因はニュージーランドにあると言い、私が信じられないと言うと、ジム・ボルジャー首相を探しに行きました。

ジム、ママロニがどこで政治を学んだのか、このジャーナリストに教えてやってくれ」と。

ママロニは、ニュージーランドの学生時代、社会信用党の党首の家に居候していた。彼は、社会的に信用されていない党の政策を信じるようになった。

Its leadership had been its disaster, notably corrupt Solomon Mamaloni. Early in my career, I wrote about him when a security source passed on news that he had gone to Libya and the Soviet Union in a blackmail move against Australia. During a Pacific Forum in PNG, a colleague and I gate crashed the leader’s dinner. On the strength of her beauty, we were obliged to sit with the Australian Minister for Pacific Affairs, Gordon Bilney. He proclaimed New Zealand was to blame for Mamaloni and when I expressed disbelief, he went off to find Prime Minister Jim Bolger.

‘Jim, tell this journalist where Mamaloni learnt his politics.’

As a student in New Zealand, Mamaloni had lived at the home of a Social Credit party leader. He came to believe in its discredited policies. 

 

(続いてここも今回の暴動に直接関係ないが、中露がいかに腐敗に浸透しているかを知る記述。多分日本の犯罪組織も関係しているであろう)

ホニアラには5つのカジノがあった。西洋の都市にあるような派手なものではなく、二階にあったり、フェンスの後ろにあったりして、街中では気軽に利用できないようになっていた。ホニアラのほとんどの人は、カジノに行くお金はない。中国やロシアのギャングがブリーフケースにお金を入れてやってきて、カジノで「遊ぶ」のである。中国やロシアのギャングがブリーフケースにお金を入れてやってきて、カジノを「プレイ」して、マネーロンダリングのコストを差し引いた金額が、銀行小切手を振り出した形でクーリエに返却される。オーストラリアの銀行は、このプロセスに全面的に協力してくれました。

It had five casinos. They were not the flashy kind associated with Western cities, but upstairs places or behind fences that were not seeking casual street custom. Most people in Honiara had no money for casinos. They were money-laundering operations; Chinese and Russian gangs arrived with money in briefcases and 'played’ the casino. Proceeds were then returned, less the laundering cost, to the courier in the form of a bank cheque drawn. Australian banks were entirely helpful in the process.