やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて30年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ソロモン諸島暴動(15)マライタのエロタ老人 キージング著

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中国の影響を通してしか語られない太平洋の島々。いや

中国の影響のおかげで語られるようになった太平洋の島々、とした方が良いだろうか?

この地域が専門分野になってしまったがために、耐えられないレベルの記事が目に止まってしまう。はっきり言うと思い込みの嘘だらけの記事なのだ。よってここに一つ一つ書いて行くことでその嘘を訂正したい。

まずはソロモン諸島の歴史を知らないことには現在の暴動を語れない。

西洋アカデミズムのインド太平洋地域の研究は、植民地であったこともあり、日本より百歩も千歩も進んでいる。ここで学問にナショナリズムを持ち込むなかれ。学者として素直に先行研究を学んでいくべきである。

民族学者、ロジャー・キージングの名前を知らずにソロモン諸島をマライタを語ってはいけない。と言う私も彼が書いた有名な『マライタのエロタ老人』は本棚に鎮座したままだった。

畏友クレオ・パスカルが今回の暴動の歴史的背景に1927年にマライタで発生した大虐殺をあげていた。ウィキレベルの情報だと、過酷な人頭税を課したベルという豪州人(英国植民政府)の高圧的態度に反発し、地元民が反乱し、その沈静のために豪州から派遣され、マライタ人が数十名殺され、村が破壊はされたとう、植民者と植民される者の二項対立でしか書かれていない。

Solomon Islanders need freedom from PRC, not Australian troops - The Sunday Guardian Live

www.sundayguardianlive.com

しかし、それは全く間違った認識であることをこの書を読んであらためて理解した。

マライタだけではないのだが、どこの島も西洋人が来る前から部族間の紛争があったのだ。そして西洋人を迎える時も最大のもてなしと同時に最大の暴力も振るっている。犠牲となって食べられた植民者もたくさんいる。マライタ島でも食人が1920年頃まで行われたことがキージングの本に書いてある。

さて、1927年のマライタの虐殺事件の背景だが、もともとマライタ島の人々、特にクワイオという地域の人々は血讐、盗みが社会生活の一部であった。その慣習がこの本の中に、エロタ老人のオーラルヒストリーを通して描かれている。豪州人の植民者ベルはこの問題をよく認識してマライタ島が「改善」されることを望んでいた。人頭税も反対だった。今から見ると、多少乱暴な統治を試みたのである。プライド高き殺人者のマライタ人グループが殺人を計画したのだ。殺されたのはベルだけでなくベルに雇われていたマライタ島北部の人々も多かった。

派遣された豪州軍はそれほど成果を上げずに引き上げ、その後に被害を受けたマライタ人によるクワイオ部族を中心とした殺害グループへの血讐が開始したのである。

これがさらなる血讐に繋がらなかったのはマライタ島の人々自身が恨みと復讐の連鎖を断ち切ろうという思いがあったからであろう。そこに日本軍が入り、イギリス人が追い出され、アメリカ軍が入り日本が追い出された。ここはエロタ老人の見解だ。

ソロモン諸島の人々、特にマライタ人は米軍に雇われて日本軍と戦ったのである。米軍の中にいた黒人兵を見て、白人と同等に活躍しているのを彼らは独立精神を学び、戦後の独立運動に繋がる。

マシアナ・ルールという。兄弟の掟、位の意味だろうか?棚橋訓氏の「ソロモン諸島のマシアナ・ルール運動」という小論には、最後に「歴史の位相」という興味深い議論がされている。英国植民であったことでプランテーションでの労働が100以上あるソロモン諸島の異なった部族の共通語、ピジンイングリッシュを生み出し、富の分配、共同作業という概念を獲得した。第二次世界大戦も意識改革に繋がり「カスタム」という伝統的要素と西洋社会の影響を取り入れた新たな動きになった、という議論だ。まとめきれないがそのような内容である。

ソロモン諸島の人口の4分の一がマライタ島に住む。ホニアラの80%の人口はマライタ人が占め、国のリーダーを多く生み出している。マライタの歴史を知らずにソロモン諸島暴動を語るなかれ。