やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

再び「やしの実大学」in与那国(2)種子島

与那国、比川浜を臨む石垣繁先生、第一回やしの実大学・八重山実行委員長

洪教授から、与那国の後種子島に行かないか、とのお誘いを受けた。90年代に開始した「やしの実大学」はほぼワンオペで開催してきたのだが、今回もワンオペである。開催後は絶対心身ともにバテているので遠慮しようと思った。しかし旅費を自己負担で参加いただいた洪教授からのお誘いである。しかも種子島で遊ぼう、観光しよう、という話ではなく考古学発掘が行われ、高名な骨研究の学者先生がわざわざ北海道から飛んでくるという。

そして発掘している鹿児島大学の学者は高宮広土教授だという。

咄嗟に、これは「縁」だと気がついた。種子島にいってご挨拶しよう。そう思った。

「やしの実大学」はハワイ、ビショップ博物館の篠遠嘉彦博士を私が初代学長に招いて開始した。その伝で高宮広土教授の御尊父、高宮広衛教授にご参加いただいたことがあるのだ。御子息の広土教授は「やしの実大学」なんて知らないかもしれない。いや、もしかしたらお父様からから不愉快な思いをしたとか、なんとか聞いていて悪いイメージしかないかも・・

発掘現場で恐る恐る

「実は今回洪教授をお招きしたやしの実大学にはお父様にご参加いただいたことがあり・・」なんと広土教授は驚かれた様子で

「あの、やしの実大学?」と。

ご存知だったのである。お父様から楽しい経験として聞いていらしたのである。それだけではなく、「やしの実大学」のきっかけとなった奄美大島の考古学者、中山清美氏と非常に親しくされていたのである。

やっぱり種子島に来てよかった。散々「財団の恥になるからやしの実大学なんてとっとと止めろ」と言われた事業は高名な学者さんたちから高い評価を受けてきたのだ。

「当初「やしの実大学」は、奄美大島の中山清美氏、ばしゃ山の奥篤治氏、南海日々編集長だった松井輝美氏の3名が中心となってやる予定だったのです・・・」

高宮教授は、中山氏の名前が出て興味を持たれたようだったが発掘現場ではあまり詳細をお話しできなかった。次回はその話を。。

高宮広衛教授にご参加いただいたのは1998年2月の第一回やしの実大学だった。どなたかこの報告書持っている方いませんか?すごい面子なんです、当時は気が付かなったけど。