やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

再び「やしの実大学」in与那国(5)石垣島のアドバイザー達

スペースでも話しました。
インド太平洋ポッドカフェ🏝やしの実大学in与那国
 

与那国、比川浜を臨む石垣繁先生、第一回やしの実大学・八重山実行委員長

 

再び開催した「やしの実大学」は与那国だけではなく、石垣島にも2泊した。

一番の目的は今回の開催にあたって、地元アドバイザリーメンバーとなっていただいた八重山諸島の皆さんとの懇親会である。島に外から勝手に事業を持ち込んで実施してはいけない。私は事前に何度か訪ね今回アドバイザーとなっていただいた皆さんとケンケンガクガクの議論をさせていただいた。

「早川さん、もうみんな年だからね、与那国まではいけないよ。」

そういう八重山毎日前編集長の上地さんは今回大きな新聞記事を手配してくれた。

「早川さん、あんたが書きなさいよ。いや、一緒に書こう。」

上地さんから修正の指示が何度か入り最終稿が新聞に掲載されかなりの反応があった。それだけでなく、現地に八重山毎日の三ツ矢記者が取材に入り大きな記事にしてくれた。

浦崎美紀子さんからは「政治的な話は避けた方が良い」とのアドバイスがあり考古学にしたのだが、結局与那国の考古学の重要性は更なる自衛隊開発計画とぶつかるようにも見えた。

美紀子さんからは「偶然は必然」と言う、意味深いメッセージをいただいた。

八重山観光フェリーの相談役となられた池間義則氏は与那国の問題解決は日本の閣僚を全員連れて来ないとダメだ、という。そして自衛隊誘致の中で島の「人」の姿が見えない、と。

確かに石垣、与那国に入った国会議員は自衛隊基地を前向きに評価するだけで地元の批判の声を聞かない。与那国の人々は中学までしかなく15歳で島を去らなければならないこと、妊婦の負担を誰も語らない。知らないのかもしれない。島を守るって、島の人を守ることではないのか?

台湾ご出身の洪教授を囲んで八重山の郷土料理をご馳走いただいた。八重山の方達は台湾との関係が深い。昔の台湾訪問の思い出話がたくさん出てきた。台湾では客が食べきれないほど食事を用意するのだという。それが歓迎の印であると。洪教授は今はもうそんな事はありませんとの回答であった。

密航になるからだろうか?余り表立って語られないが228で台湾からかなりの人が、多分漁船で八重山に逃げてきたのだ。終戦後も漁船が台湾と八重山を繋げていた。

与那国と台湾は高速船の計画があり就航すれば1時間(うろ覚え)で行き来できると言う。

 
再び「やしの実大学」in与那国 「八重山アドバイザリーグループ」のみなさん

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八重山観光フェリー相談役・池間義則氏、八重山毎日新聞前編集長・上地義男氏、宮良久志氏、浦崎美紀子氏は写真が見つかりませんでした

2007年5月1日に亡くなられた友寄英正氏。八重山でのやしの実大学は友寄さんが牽引していました。その遺志が少しでも実現できればとの思いです。