
ピュタゴラス曰く一は善である
フィレンチェが生んで育てて追放したダンテ、とマキャベリ。
この初夏の欧州滞在でダンテの家を訪ねたことと、なんと国際法学者のハンス・ケルゼンの博論がダンテの『帝政論』であった事を知り、手に取った。
小林公氏の翻訳が話題のようだ。
本文は100ページ強
小林氏の注釈が130ページ
訳者あとがきが90ページ
と言うボリュームである。
まずはあとがきを読み、本文に入った。
ダンテもマキャベリも教皇の政治支配に反対している。フィレンチェは世界初の近代国家と言う学者がいるほど政治のあり方が多くの論者の命と人生を賭けて議論されてきた町だったのだ。
ドイツ語のケルゼンの博士論文はイタリア語と日本語に訳され英語にはなっていない。そしてケルゼン当人が自分の博論はつまらないとし、その後ヨーロッパ中世を研究対象にすることはしなかったと言う。ダンテの『帝政論』同様、ケルゼンの博士論文を取り上げた論文は山ほどあり、2、3本を斜め読みした。全部英語だが。
ダンテの『帝政論』の2巻目まで読み進んだ。色々な背景を知らないと理解できない内容で、なんとなくわかる程度だ。一人の皇帝による政治を正当化しようとした内容だと理解している。
一巻目にピュタゴラスが出てくる。ピュタゴラスは「一」を善の側におき、複数を悪の側に置いた、とある。そこからダンテは「罪を犯すことは「一」を軽蔑して多数へ進むことをに他ならないことが理解される」と説く。ローマ帝国の正当性、力ではなく法による支配を評価する。
ここでふと思い出したのが聖徳の一七条の憲法である。十二条に君主は一人とある。
現代語訳を貼っておく。
訳文「国司や国造は、百姓から税をむさぼり取らぬようにせよ。国にふたりの君はなく、民にふたりの主はない。この国土のすべての人々は、みな王(天皇)を主としているのだ。国政を委ねられている官司の人々は、みな王の臣なのである。どうして公の事以外に、百姓から税をむさぼり取ってよいであろうか。」
聖徳はダンテより700年前に、そしてピュタゴラスから1000年後に「一」の意味を理解し十七条憲法に入れていたのである。