終戦の日の靖国参拝。昭和天皇はA級戦犯の松岡洋右が合祀されていることを快く思っていなかったことが「富田メモ」にあることを初めて知った。
松岡洋右の罪の一つがドイツとの同盟であろうが、その事に関しては防衛大学の等松春生先生の博論に詳しい。『南洋群島と帝国・国際秩序』という本にも等松論文が収められているので久しぶりに再読してSNSで情報共有をした。
図書館に返却しようと思っていたが、戦後の沖縄引揚者の論文が3点収められているのに気がついて斜め読みだが今回初めて拝見した。
戦後、沖縄は日本ではくなったのだ。戦後沖縄の人は日本人で亡くなったのだ。
その事が理由で日本の引揚者の統計資料などに詳細は記録されていない。戦争の体験からであろう。日本を徹底的に嫌った沖縄のリーダーたちの様子が書かれており、米国とともに生きていく、もしくは独立が期待されていた。ところが、戦後2、3年で米軍の対応に不満を持ち日本復帰の可能性が議論されていくようだ。
そして、ミクロネシアの旧日本委任統治領のように米国の信託統治領になることを望む声もあったのだ。今のミクロネシアを見て沖縄の人たちは米国の信託統治の結果をどう思うであろう。
パラオで農園を開拓した大宜味朝徳氏の話が興味深い。戦争中、日本軍部の指示を無視して島民に食べ物を直接分け、米軍が来てからは、海を泳いで米軍基地に入り協力を提案した。米軍に寝返る沖縄の人を日本軍は多く見たのであろう。中にはハワイへ移民した沖縄の人もいたであろうから英語は得意なはずだ。
日本復帰まで沖縄の人の国籍は定まらなかったのであろうか?米領でも日本領でもない沖縄が戦後数十年続いたのであろうか?言語学者の知念寛子先生は日本に留学した経験をお持ちである。
もう一つ気になったのが、沖縄にとって日本が常に悪者としての構図でしか見られていないことだ。ミクロネシア諸島に移民した日本人の6−7割は沖縄の人であるが、旧独領のミクロネシアを占領したのは日本軍であって沖縄の人ではない。沖縄出身の軍人はいたかもしれないが。
日本と沖縄。日本の中の沖縄。歪な関係がしばらく続くのであろう。