やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

BBNJを巡る学術論文ー濱本・加々美・佐俣(自分用メモ)

坂元先生の文章、「海洋秩序の再編」が掲載されている、国際問題2018年9月 No.674に京大の濱本教授のBBNJに関する論文が、そして入会したばかりの国際法学会誌2018年5月号には加々美先生と佐俣先生のBBNJに関する論文が掲載されている。

2018年9月に開催された第一回政府間会議の前に書かれた論文だ。3者ともBBNJという新たな協定に否定的、少なくとも前向きではないように見える。

私は今年前期、坂元教授のゼミでBBNJ準備会合の最終報告書を細かく読んでいく機会をいただいた。そこには "for what?" とたくさん書き込んである。

平等な権利、科学情報、利益を途上国、小島嶼国は要求するが、開発学を学ぶものとしては「何のために?」という疑問が出て来る。ちなみに国際法は開発学が重視する「開発とは何か?」を一切無視している。研究対象ではないのだ。逆も同じで開発学を学んでいる時に国際法は出て来なかった。

以下3人のレポートのメモ。小国、太平洋島嶼国の役割には触れていなので、私が博論で議論する意味はある、と思った。

 

・濱本正太郎 「国連海洋法条約とBBNJ 海洋遺伝資源利益配分に関する制度構想」。国際問題 No. 674  2018年 p. 38-46

メモ:濱本先生は海洋遺伝資源に関してずっと議論されている。ここでは準備委員会までは抽象的、断片的議論ばかりなので、立法論として具体的構想を検討を試みている。2つの学説ーEve Heafey とArianna Broggiatoを紹介。利益配分制度構築に関連した議論に続いて、そしてこの議論から利益配分制度構築に必要でない事を導いている。人類共同財産概念の適用可能性と知的財産権を巡る問題、だ。

おわりにーでは2020年までに開催される4回のBBNJ政府間会合でどこまで何が決定されるのか「現時点では軽々予想できにない。」そしてそれは法的問題ではなく、政治的門である、と。それには抽象論だけでなく科学者や企業研究者との連携は不可欠と論じている。ここで名古屋議定書プロセスの批判に関する参考資料が提示されている。(35)の資料一覧。これは知らなかった。条約交渉者に科学的・商業的知見が欠けていることは国内外から意見がでているのだ。

ここは小島嶼国の議論に重要だ。小島嶼国には科学的・商業的知見がある人材はいない。今のところ観察できる現状は国際環境NGOが入り込んでいる事だ。彼も科学的・商業的知見はそれほどない、国際法の知見すらない、と思う。だから私が今勉強しているのだが。

 

・加々美康彦「国家管轄権外区域の海洋保護区」『国際法外交雑誌』第117巻1号(2018年5月)p. 49-79

BBNJの4つのパッケージの1つ。海洋保護区を議論した論文。加々美先生の専門分野であり海洋保護区を支援する立場だと理解している。これで博論を書かれたのではないだろうか? 51頁で海洋保護区はILBIの核心と、ミクロネシア代表のコメントを引用している。53頁の注 15)でMPAの科学的議論は本稿の範囲外としている。 MPAに科学的根拠があるかないかは確かに法律論の外だが、法律論は濱本先生の言う政治議論や科学議論をどこまで無視できるのだろうか?もしくはどこまで扱うべきか?

気になるのは77−79頁で議論されている「隣接性」だ。ポジティブに論じている?ここは太平洋島嶼国が、自分たちの権利を主張するポイントなので博論でも中心的に議論したい点である。

 

・佐俣紀仁「『人類の共同の財産』概念の現在―BBNJ新協定交渉の準備委員会に至るまでのその意義の変容」『国際法外交雑誌』第117巻1号(2018年5月)p. 108-130

人類共同財産と、太平洋島嶼国始め途上国、小島嶼国が海域の囲い込みを始めた議論は対立している。隣接性を根拠に資源の囲い込みをしているのである。自分の博論の範囲で言えば、人類共同財産の概念を太平洋島嶼国がどこまで理解しているか。例えばブルーオーシャンを唱える太平洋島嶼国は内陸国家の利益など考えていないのではないか?今までのBBNJの議論を見ると太平洋島嶼地域内の利益が主張されていたように記憶する。国連の海洋法、他の条約もそうであろうが、小島嶼国の「義務」というのは一度議論してみたいポイントだ。世界のテロ、越境犯罪を支援して国家群なのである。