やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

PEACESAT ― 太平洋をめぐる日米協力の一片

(2009.2に書いた文章です。)

 

「ケネディの希望、ダニエルイノウエ議員の宿望、笹川太平洋島嶼国基金の大望」

PEACESAT ― 太平洋をめぐる日米協力の一片

 

 笹川太平洋島嶼国基金の助成事業が間接的にUS. Coast Guardの活動に寄与していることを以前ご報告しました。基金第2次ガイドラインにはミクロネシア地域を重視するとうたっていますが、そこには米国との協力が不可欠なことも明記してあります。

 

 海洋問題とは直接関係ありませんが、基金が支援してきた、太平洋をめぐる日米協力の一片、PEACESATを下記にご報告します。

 

 スプートニクショックに始まる米国の宇宙開発。1961年にはケネディ大統領が宇宙技術の平和利用を訴え、国際衛星通信機構「インテルサット」の創設につながりました。ケネディの「宇宙技術の平和利用」の流れの一つとして、実験を終了したNASAの衛星ATS-1を利用し PEACESATが1971年ハワイ大学内に立ち上がりました。このネットワークを利用して、南太平洋大学の遠隔教育システムUSPNet が構築されます。

 

 このPEACESAT立ち上げを後押ししたのがダニエルイノウエ議員です。1985年にはPEACESATの衛星が軌道から外れてしまいますが、太平洋島嶼国から千通近い嘆願書がイノウエ議員に寄せられ、再度イノウエ議員の強力なイニシアチブで1988年再スタートすることになりました。

 

 しかし、時は冷戦の終結を迎え、米国の太平洋への関心が一気に冷えたころ。PEACESAT再スタートのための政策会議の支援が米国政府から得られず、設立されたばかりの笹川太平洋島嶼国基金にハワイ大学から支援要請がきたのです。

 

 当時、笹川太平洋島嶼国基金は、フィジーの故カミセセマラ大統領の要望を受けPEACESATに代わる衛星ネットワークの支援検討をしている最中でした。結果として、国際協力衛星実験事業を計画していた郵政省(当時)の協力もあり、太平洋島嶼国から100人近い大臣、教育関係者が小雪の散る仙台を訪れ、 1992年「PEACESAT仙台会議」が開催されました。

 

 その後、 USPNetは日本財団笹川陽平会長(当時笹川太平洋島嶼国基金運営委員長)の判断で、日本のODA案件として支援できるよう当方が動き、結果的に日豪NZ、3カ国政府の協調案件として結実しました。

 

 他方、PEACESATが行う政策支援を中心とした、ミクロネシア地域での活動も基金が支援してきました。現在マリアナ諸島、グアムのすべての学校と図書館がE-rateという連邦政府の資金援助でインターネットにつながるようになった背景にも、基金の支援があります。ここ数年は、迎撃ミサイル基地があるクワジェリンとグアムを結ぶ海底通信ケーブルを、中継地にあるミクロネシア連邦国で民間利用できるよう、同国の通信政策改革を PEACESAT を通じて支援しています。

 

(文責:早川理恵子 2009.2.12)