やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

友寄英正さんと笹川太平洋島嶼国ーその2

八重山の友寄英正さんとの10年は結構濃かった。いろいろ思い出しました。  

 

友寄さんはタダのジャーナリストではなかった。 活動家だ。島興しのリーダーだった。

ご本人からは直接お伺いする事はあまりなかったが周りから、友寄さんの活躍が聞こえてきた。白保の珊瑚礁も、台湾との農業交流も、サトウキビの援農隊も友寄さんとその仲間でリードしてきたらしい。  

 

友寄さんは理論家だった。

『八重山開拓移民』という本も出している。ペンネームは金城朝夫。この本は島社会を理解するには格好の本だ。一機に読んでしまった。島の人口は結構移動している。「島固有の文化」という時、島が外にどれだけ開かれて来たのかも知っていた方がよい。  

 

友寄さんはロマンチストだった。  

有り難いことに八重山の方達は、私が公益のお金を預かっていることを理解してくれた。世のため人のためになる事業をみんなが真剣に考えてくださった。友寄さんから多くを学んだ。映画『七人の侍』のように、最後は「百姓の勝利だ」と言って静かに去って行かなければならないと教わった。そんな友寄さんはロマンチストに見えた。

 

友寄さんは強引だった。

友寄さんを中心に八重山のリーダー達が集まってくださり、笹川太平洋島嶼国基金と10年以上事業を展開。「やしの実大学」を八重山の全離島で開催しようとしたのは友寄さんだ。最初はみんな(私も)反対した。石垣でやるのも難しいのに、西表、与那国、竹富、鳩間でどうやってやるのか。最後はみんな友寄さんに折れた。でも今思うと各離島で開催されたことは重要だったと思う。毎回多くの参加者を得る事ができた。一般参加者は2、3万円を自腹で払って参加されていた。本土や沖縄本島でもこのやしの実大学事業が知られる様になって、琉球大学の先生など自主的に参加された。

「第1回やしの実大学報告書 in 石垣」(1998年4月)

「第2回やしの実大学公開講座 in 八重山」(1998年12月)

「第3回やしの実大学公開講座 in 与那国」(1999年10月)

「第4回やしの実大学公開講座 in 西表」(2000年8)

「第5回やしの実大学公開講座 in 新城島/黒島」(2002年6月)

「第6回やしの実大学公開講座 in 波照間島」(2003年6月)

「第7回やしの実大学公開講座 in 鳩間/小浜島」(2004年6月)  

 

実はこの事業は財団ではあまり評価が高くなく、3回目の1999年で終了する予定だった。それが与那国の事業に笹川陽平運営委員長(当時)が参加された事で、大きく評価が変わった。年間3~4百万円の事業予算だったが、島の方達による自主的な運営と参加があることに驚かれたのではないか、と思う。