やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

宇宙開発と脱植民地化の関係

宇宙開発と脱植民地化の関係

Relations between Space Development and Decolonization

 いよいよ、博士論文の理論枠組みの章を書き始める事になったが、指導教官が退職する事になり、昨年春(日本の秋)新しい指導教官が配置された。

 新しい指導教官はPostcolonial理論を研究する方で、私が理論枠組みに開発論を用いる言ったら、バンドン会議を知っているか、と返された。知ってはいるが、説明できるほどの理解はしていない。

 博士論文のテーマである「開発のための情報通信」の歴史的な背景を述べるきっかけとしては1985年にITUから発行された「メイトランド報告書―missing link」から始めようとしていたので、それよりさらに数十年遡るのは面倒だな、と正直思った。それでも指導教官のアドバイスは無視する訳に行かないので、正月休みの期間、バンドン会議の周辺を調べてみることにした。

 戦後の脱植民地化の動きとその政治的地位は、太平洋島嶼国の特にミクロネシアの非植民地化の動きとも関連するので、財団の仕事と大学の研究とまたがった作業となった。

 「開発のための情報通信」とは端的に言えば、途上国の社会開発としての情報通信である。Information and Communication Technology for Development―頭文字を取ってICT4Dと記される事が多い。

 このI, C, T, Dの4つの分野でさらに様々な視点から議論がされているが、特にDの開発に関連した論文は理論枠組みを伴っていないモノが多い。

 さて、関連資料を読み進めると、1955年にインドネシアで開催されたバンドン会議の旧植民地連携の動きと1957年のスプートニクショックをきっかけに加速した米ソの緊張と宇宙開発、即ち脱植民地化と宇宙開発が密接に絡み合っている事が見えてきた。

 バンドン会議は1947年にイギリスから独立したインド、1949年オランダから独立したインドネシア、1949年に人民共和国が成立した中国、そして1953年共和制へ移行したエジプトが中心となって開催された。

 

 これら新興国にしてみれば米ソが新たに手に入れようとしている宇宙空間というまだ制度化されていない空間の権利やそこを利用した宇宙技術は覇権国に独占されてよいものではない、という考えがあった。

 他方、米ソにしてみれば、このような新興国の不満を解消するためにも、そしてこれらの国々を自分たちの陣営に取り込むためにも宇宙空間を世界平和や途上国支援という切り口で見せる必要があった。

 それが1958年の「国連宇宙開発平和利用委員会」の設立であり、1961年にケネディ大統領が国連で示した「宇宙開発の平和利用」の演説である。

 ケネディ大統領の演説を受け、1964年に米国主導で衛星通信国際会社「インテルサット」が設立される。これで途上国も衛星通信の恩恵を受ける可能性が出て来た。

 他方宇宙空間に関する権利については1967年に「宇宙条約」が発効されるものの、1976年には「赤道諸国会合宣言」が出され、途上国の宇宙空間の権利が主張された。しかし、この宣言が世界政治に影響を与えることはなかった。宇宙技術を持たない途上国の宇宙空間の権利は棚上げのまま、米国の独占体制が維持される結果となった。

 この衛星通信の米国独占体制に穴を開けたのが、我らがトンガ王国のトンガサットなのだがこれは話がそれるので別の項目で書く。

 米国やソ連で宇宙開発に関係した人々が、当初から途上国支援のために努力した形跡は見られない。宇宙開発―衛星開発はあくまでも「冷戦」を動機としており、軍産複合体を強化する動きでしかなかった。

 ケネディの国連演説の10年後の1971年、太平洋の島々に無料の衛星通信サービスを提供する実験が始まった。このブログで何度も紹介しているPEACESATだ。しかし、それも使用済みの中古衛星で、米国が途上国支援のために開発したわけではない。途上国支援を志す米国の一部の人々(元平和部隊とか)が同国の宇宙開発のおこぼれを拾った形だ。

 1970年代は2つのオイルショックを受け、世界的な不況が続き、途上国と先進国の格差は広まる結果となった。情報通信も例外ではない。70年代UNESCOは「新世界情報通信秩序」を掲げるが覇権国の前に頓挫する。

 70年代に広まった情報格差に対応すべく、ITUは1982年「ナイロビ全権委員会」を設置、1983年には世界コミュニケーション年を掲げ、1985年には世界の情報通信格差を克服すべしとした「メイトランド報告書―missing link」に繋がって行く。

 植民地時代に施設された海底ケーブルとは違い、戦後の脱植民地化とほぼ同時に始まった冷戦下の宇宙開発―即ち衛星通信が、平和利用や途上国支援を(半分は詭弁であるとしても)指標にしたことはICT4Dの歴史的背景として重要である。

 ーやっぱり指導教官のアドバイスは重要である。

 

<脱植民地化と宇宙開発のクロニクル>

1865年 ITU設立

1939-1945年 第2次世界大戦

1941年 大西洋憲章 国際平和機構構想

1941年 Four Freedoms (米国)

1942年 “Conditions of Peace” by E.H.Carr

1943年 国際機構憲章草案

1943年 カイロ宣言テヘラン宣言

1945年 サンフランシスコ会

1947年 UNESCO設立

1948年 人権宣言

1952年 ITUが国連の技術協力援助評議会メンバーになる

1955年 バンドン会議

1957年 スプートニクショック

1958年 国連宇宙空間平和利用委員会

1959年 電気通信条約にITUの技術協力の役割が明記

1961年 ケネディ大統領国連演説 「宇宙通信に関する平和利用」

1961年 国連宇宙法原則宣言

1964年 INTELSAT設立

1965年 UNDP設立

1967年 宇宙条約発効

1969年 UNESCO「新世界情報通信秩序」に言及

1971年 PEACESAT始動

1972年 UNESCO マスメディア宣言作成決議

1973年 オイルショック

1976年 赤道諸国会合宣言

1976年 ナイロビ/UNESCO総会「 マスメディア宣言 」審議持ち越し

1977年 UNESCO 国際コミュニケーション問題検討委員会設立

1979年 第2次オイルショック

1980年 UNESCO 国際コミュニケーション問題検討委員会報告書「マクブライド報告書」

1982年 ITU ナイロビ全権委員会(途上国と先進国の対立)

1983年 ITU 世界コミュニケーション年

1985年 ITU メイトランド報告書

<参考資料>

赤道諸国会合宣言

http://www.jaxa.jp/library/space_law/chapter_2/2-2-1-2_j.html

ITUの技術協力活動の経緯

http://www.ituaj.jp/07_mc/itud/01_01_itu_d.html

世界コミュニケーション年について

http://www.nict.go.jp/publication/CRL_News/back_number/086/086.htm

『昭和58年版 通信白書』― 1 情報通信分野の南北問題

http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/s58/html/s58a01020101.html