やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

原爆を落とした側

8月6日、広島原爆投下記念日。今年はテレビを見ながら黙祷をする事ができた。

原爆を落とされた日本側も恐ろしい思いをし、今でも続いている。

しかし、連合国側、即ち原爆投下をした側のアメリカ、ニュージーランド、オーストラリアもきっと自分たちのした事を恐ろしい気持ちで見ているのではないか、と思う。

オーストラリア、ニュージーランドの友人、知人が「ボソッ」と言い出す事がある。

自分の父親やおじさんが、戦後処理の日本に派遣され、帰国してから人が変わったようになってしまった、という話である。

この手の話はある時、突然、堰を切ったように「ボソッ」と話しだすのだ。

きっと父親やおじさんから聞いた本人は、日本人の私に黙っていられない心境なのではないか、と想像する。

「そうですか、よく話してくれました。ありがとう。」と言う事にしている。

友人Mさんの父親は原爆投下があった長崎に派遣された。

帰ってきてから一度だけ、たった一度だけ、日本での経験を息子に語ったという。

ニュージーランド人の父親は原爆跡に残された子供達にラグビーを教えていっしょに遊んだそうだ。しかしラグビーは米国が禁止し、野球になったそうだ。

戦後日本に派遣されたオーストラリアの友人のおじさんは、日本での勤務内容を話す事は一切なかったという。しかし多くの友人を日本に作って帰り、友人はおじさんの紹介で日本にペンパルを持った。それで日本に詳しくなったのだそうだ。

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The Fog of Warというドキュメンタリー映画がある。マクナマラ元米国防長官の告白で、同長官が東京空襲の恐ろしさを述べる場面が忘れられない。これをアメリカがされたらどう思うか?同長官のコメントであった。

知り合いのフランシス•ヒーゼル神父も同様の事を述べていた。

広島の原子爆弾の恐ろしさよりも、東京空襲の継続した恐ろしさの方がひどかったのではないか?と考えるときがある、という話だった。