やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

「橋本行革の決定と挑戦」 松井孝治 2014.5 世界

笹川平和財団の長谷川さんが、何か読みたい資料はないか、あれば送るとの事。気になっていた松井孝治さんの「橋本行革の決定と挑戦」をリクエストした。

橋本行政改革総理府(当時)系の青少年組織の幹部をしていた時だったので、その動きは末端の方で感じていた。しかし、この改革が30代の若手官僚松井氏の発案であった事は始めて知った。こういう大事をする松井氏もスゴイと思うけれど、そういう大事を若手官僚に任せる政治家(だと思う)もスゴイと感動している。下記引用する。

”(前略)松井君一案作れ、との指示が下る。この「発注」こそが私の運命を変える仕事になるのである。せっかくだから、自分自身の、霞ヶ関への、そして首相官邸へのもどかしい思いを一旦全部ぶちまけてみよう、そんな思いで、ここは行革の中核の中核、霞ヶ関改革を橋本政権の目玉にしてやろうと思った。” (「橋本行革の決定と挑戦」 松井孝治 2014.5 世界 から引用)

行革で運命が変わったのは松井氏だけではないはずだ。

私がこの松井氏の原稿を読みたいと思ったのは、来年第7回目が予定されている太平洋島サミットが、まさにこの行革の真っ最中の橋本政権下で開始した事が理由である。

第1回島サミットは、メディアにも殆ど取り上げられず、日本国内の島嶼関係者も何をするのか、したのか、ほとんど知らされず、もっとひどい事に、太平洋の首脳を呼びつけておきながら、当の日本の首脳、橋本総理はちょっと顔を出しただけで、後は外務省の官僚に任せきりだったのだ。

この件をP国のN大統領から指摘され、「申し訳ありません」と日本を代表して謝っておいたが、次回お会いした際はコレコレこういう事情がありました、と弁明できる。

”しかし、橋本行革に携わってみて、やはり痛恨としか言いようがないことは、総理の主導性が、1997年の秋以降の与党内調整において見事に覆されていくさまであった。” (引用、同原稿)

第1回島サミットは1997年10月開催である。まさに1997年9月の内閣改造の直後、即ち総理の主導性が覆されている最中のイベントであったのだ。

そして、このブログで何度も書いているが、当時のサミットは、太平洋島嶼国の地域組織Pacific Islands Forumが日本のプルトニウム輸送に強い反対を表明していた事への対処であった。

電事連、外務省、通産省がどのような動きをしたのか?橋本総理、官邸はどのように対処したのか?

いい方が悪いが、島嶼国を黙らすための目玉事業を外務省は探していたのである。この日本政府の思惑とは全く別に、笹川陽平会長からODA案件にしよう、と言われて1991年から当方が動いていたUSPNetがこの島サミットの目玉事業となった。これは歴史の偶然、運命である。

さらに、予期しなかった成果として既存の電話通信会社を外したネットワークであるUSPNet事業は現在の太平洋島嶼国の通信制度改革にも繋がっている。

来年第7回を予定している島ミットはもう電事連は抜けて、官邸主導のイベントになる事を期待している。それは、パプアニューギニア液化天然ガスだし(エネルギー安全保障)、これも笹川会長の指示で当方が外務省大洋州課に提案させていただいた広義の太平洋海洋安全保障協力だし、PIFメンバーではない米国との協力である。

来週からの安倍総理の太平洋訪問は、その意味でも特別であり、松井氏の行革の成果でもあって欲しい。

松井氏の原稿まだ続くようであるが先を読むのが楽しみだ。