やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ミクロネシア海上保安事業事始め

ミクロネシア海上保安事業。

歴史を作ってきた当人の証言者としてその事始めを書いておきたい。

 

2008年4月14日マーシャル諸島大統領が笹川会長を訪ね笹川会長が羽生会長の同国訪問を決定した。

詳細はブログにある。

http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/1315

 

これと平行して笹川会長は「太平洋島嶼国との共同体を」という正論を発表している。

http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/1358

(当方は意見を聞かれコメント、そのまま記事になった)

 

これがミクロネシア海上保安事業の事始め。

勝手に始めたのではない。一国の大統領の要請を受けて、また米国の太平洋安全保障に対する懸念を受け、支援哲学まで示して開始したのだ。

この2点は今でも忘れてはいけない。

 

その次段階が羽生会長と当方の動きだ。

私と渡辺昭夫教授が策定した笹川太平洋島嶼国基金が第二次ガイドラインで支援してきたミクロネシアの地域協力枠組みを支援する事。またこの地域に特別な関心を持ち支援してきた森元総理の理解を得ることを羽生会長に提案したのは当方である。他国の安全保障に手を突っ込む話なので、日本政府対策である。

そして羽生会長は海上保安をやる、と決断され、当方にミクロネシア3国大統領合意を得てきて欲しい、と指示されたのである。

で、既に私はミクロネシア3国との信頼基盤はあったのでアッという間に合意は得られました。

このブログの写真にあるミクロネシアモリ大統領との写真はその合意を得た直後。

羽生会長から感謝している、と百回くらい言っていただきました。200万円の自由研究費もいただいてしまった。しかし、当方の意見を聞いていただいた羽生会長にこそ、こちらから感謝を申し上げたい。

そして具体的支援案件、即ち警備艇供与の話に展開するわけで、ここからは海上保安庁の活躍の場となったわけである、が、豪州米国との調整やミクロネシア諸国との調整を、随時羽生会長から指示され、当方が動いていた事も書いておきたい。

 

世の中には人の活躍を妬む人が多いようなので自分の業績を明確にしておきたい。

中には当方に向かってセクハラ発言するまでする人、産経新聞社の千野境子氏から言われた。

「アナタが仕事を続けられるのは、羽生さんがが女好きだからよ。」

言葉の暴力である。